回復された証しの構成要素

 回復された証し――それが地域的なものであれ、世界に対するものであれ――の構成要素についてまとめることにしましょう。

 第一に、それは私たちが苦難の中で経験した神の慰めから生じなければなりません。

 第二に、それは望みがすっかり絶えてしまったかのように思われる時に経験した復活(個人的なものであれ、団体的な地域的なものであれ)から生じなければなりません。

 第三に、それは自分自身の失敗を通して学んだ神の愛から生じなければなりません。これがコリントにあった一つの偉大な要素に違いありません。コリント人たちは自分たちの失敗を何と深く悟ったことでしょう!彼らは下って行き、まさに塵の中へと下って行きました。彼らは自分たちがその地の群れとして何と惨めな失敗を犯してしまったのかを感じていたのです。そして、彼らは自分たちが犯した過ちの意識にさいなまれていましたが、この使徒を通して神の御心から自分たちに注がれる愛を見いだしたのです。この発見が彼らの新しい証しの構成要素になりました。

 第四に、それは砕かれることと、弱さの自覚とから生じる広くされた心から生じなければなりません。自分自身の弱さを自覚していた民がいたとするなら、それはまさにコリントの人々だっただろうと思います。事実、彼らが自分自身について絶望しかけたことを示唆する箇所が、この第二の手紙の中にいくつかあります。自分自身の誤りやすさや無価値さの意識で彼らは打ちひしがれ、いっぱいになっていたのだと思います。しかし、それを通して、彼らの心は広げられたのです。もしあなたや私が自分自身の過ちを自覚してうめいているなら、他の人々の失敗に対して狭量になったり、意地悪になったりすることはないでしょう。私たちは大いに忍耐強くなり、大いに物わかりがよくなるでしょう――まったく心が広くなるでしょう。私たちは言うでしょう、「ここでは私自身大いに注意深く歩まなければなりませんでした。しかし神の恵みのおかげで、私もそこを通ったのです!」。これが心の広さであり、真に砕かれたことです。

 最後、五番目に、その地と世界における主の誉れに対する責任感から、主に対する何という徹底的姿勢が生じることでしょう。ここでこの徹底的姿勢が生じると思います。もしこの姿勢がないなら、他のいかなる手段も無益です。自分たちがその地で主を貶めていることに、コリント人たちは気づかなければなりませんでした。彼らの状態、彼らの間の状況は、まさに主に不名誉を被らせるものでした。これが責任感を引き起こしました。「ああ、主を貶めるわけにはいきません!主のために、主の御名のために、どんな代価を払っても、自分たちの間の状況を正さなければなりません」。イザヤ書の後の章では、回復される時の、シオンにおける主の御名について、たくさん述べられています。同じようにコリントの教会でも、その都市やその近隣や世界における、主の御名と主の誉れに対する責任感から、主に対する徹底的姿勢が生じました。

 「誰に主の御腕は現されるのか?」という問いに戻ることにします。これまで見て来たように、十字架を示唆するものを受け入れる者たちに対してです。これが十字架の完全な結果であり、働きです。これはみなイザヤ書五十三章から発します。この類の回復された証しは、ただ十字架の結果でしかありえません。十字架こそ、あらゆる証しの基礎そのものなのです。


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