キリストと共に苦しむことの価値

 証しにおける第二の点は、キリストと共に苦しむことの価値です。コリント人への第二の手紙は、これについて多くのことを述べています。例えば、「あわれみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神。神は、いかなる艱難の中でも私たちを慰めて下さいます。それは、私たち自身が神から受けた慰めをもって、あらゆる艱難の中にいる人々を慰めることができるようになるためです。なぜなら、キリストの苦難が私たちにあふれているように、私たちの慰めもキリストを通してあふれているからです」(二コリント一・三~五)。

 第一に、キリストと共に苦しむことにより、その素晴らしい見返りとして、私たちはキリストの慰めを受けます。

 このような世の中にあって、なにがしかの慰めを与えることは、大いに大切なことです。教会の中でも教会の外でも、慰めの務めに対する大きな必要があります。イザヤ書に戻って下さい、「慰めよ、私の民を慰めよ、とあなたの神は言われる」(イザヤ四十・一)。しかし、たんなる陳腐な言葉では、慰めの務めを成就することはできません。困難な困った状況の中に行き、耳障りの良い言葉を語るだけではだめです。人々が現実に困難や苦しみの中にあって、あなたが彼らに語り始めたとしましょう。あなたに対して彼らが問う権利がある第一のことは、「では、あなたはこれについて何を知っているのですか?あなたはこれまで、私の立場や、私の状況を経験したことがあるのでしょうか?これまで深い、深い苦難にあったことはあるのですか?これについてあなたは何を知っているのですか?」ということです。

 ですから、おそらく、ご自分の民が大いに苦難を経験するのを神が許されるのは、神の主権的摂理の道の一つなのでしょう。これは、彼らがキリストの慰めのこの素晴らしい価値を得るためであり、他の人々――試みにあって、苦しみ、悲しんでいる人々――を慰め、励ますためのものを得るためです。私たちは何を与えなければならないのでしょう?御言葉はこう述べています、「私たち自身が神から受けた慰めをもって、慰めることができるようになるためです」。もしこの箇所を読んでいる人の中に、痛ましい苦難の時を過ごしていて、いわゆる「暗い土地」を通っている人がいるなら、私はこの御言葉をあなたのために次のように言い換えることができるでしょう。「あなたの今の経験を次のように見なして下さい。自分にこう言い聞かせて下さい。『この経験は主を見いだす機会を私に与えてくれるものなのです。これは将来の奉仕のための備えになるでしょう。この苦しみや問題のおかげで、私は主から慰めと助けを受けることができます。これは将来、誰か他の人に対して大きな意義を持つものになるかもしれません』」。


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