これは今日も経験できるのか?

 さて、ここで私たちに大きな疑問が生じます。「私たちも今日これを経験できる」と信じるべき根拠は何かあるのでしょうか?「新約聖書はそのための堅固な根拠を私たちに与えている」と私は言いたいと思います。主が栄光をお受けになった後、この効力を経験した男女が大勢見つかります。使徒の働きに戻って、帰途にあるエチオピヤ人のことを思い出して下さい。彼は失望し、惨めで、悲しく、困惑していました。「僕であるピリポとイザヤ書五十三章の御言葉を通して、復活した主がこの人に会われた」と言って間違いないでしょう。光景は一変しました。彼について最後に述べられていることは、「彼は喜びながら自分の道を進んだ」(使徒八・三十九)です。人生も状況も一変しました。なぜなら、この人は復活した主に触れたからです。この事例は、この驚くべき変化の典型です。主の御霊が人々に触れ、その生活の中に到来し、彼らのただ中に臨まれる時、このような変化が生じます。彼らは困惑し、虐げられ、支配者たちの威嚇により大きな悩みや苦しみの中にありました。しかし、彼らはそのような状況の中で何かに出会い、喜びと確信に満ちあふれた人となって出て行ったのです。

 この経綸は使徒の働きの書以降、変わってしまったのでしょうか?この書には結論がなく、途中で終わっています。ルカがこの物語の結末を記すことは、聖霊の意図ではありませんでした。なぜなら、この物語はこの経綸の終わりまで進み続けなければならないからです。当時事実だったことは、いま私たちの経験においても事実でなければなりません。そうです、これを証明する根拠や証拠はたくさんあります。しかし、「どんな根拠に基づいて、私はこの経験を自分のものにすることができるのでしょう?」とあなたは言うかもしれません。「これは自分たちにもあてはまる」という期待を正当化する証拠を聖書は与えており、「自分たちについてもこれはそうでなければならない」と御言葉は本当に告げています。そうだとするなら、「これはどのようにして私にも実現するのだろう?」という疑問が生じます。ですから、どうすればこれが可能になるのか、どうすればこれを実際に知ることができるのか、出来るだけ短く答えることにしましょう。


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