主の御腕を妨げるもの

 しかし、主は注意深く進まなければならないかのように思われます。主はただちに出て行って、何も保留しないことを望んでおられます……しかし……依然として何かが主の御腕をつかんで妨げているのです。主は前に進むことを願っておられるのですが、そうすることができません。古い土台は十字架の火により清められました。そして、このあらゆる切り株、このあらゆるもつれ、棘や茨の網状組織は、この火によって対処されました。主は入ってきて、ご自分の土台を獲得されました。しかし……依然として問題が残っているように思われます。これらの章を読む時、次のように感じずにはいられません、「この問題はまだ片付いていません。私たちはまだ出口を抜けたわけではありません。これがどうなるのか、まだわからないのです」。主には大いに確信があります。主は励ましておられ、ご自分について、「私は何かを自分の方から差し控えることはしません」と仰っています。しかし、主は何かに遭遇しておられるのです。

 それを次のように述べることにしましょう。土地は清められ、土台は据えられました。しかし、ここで次の疑問が生じます。「この土台の上に何が建てられることになるのでしょう?」。まさにここで不確定要素が入り込みます。この不確定要素は土台に関するものではありません。なぜなら、土台は十字架によって据えられているからです。この不確定要素は上部構造に関するものです。この基礎の上に何が建てられることになるのでしょう?主にとって定かでないのは、ご自分の民がご自分の基礎の上に何を建てるのかということです。

 旧約聖書に関する限り、この新しい土台の上に新しく建てるというこの問題に対する直接的答えは、いわゆる捕囚後の預言書の中に見つかります。捕囚後の預言書とは、ゼカリヤ書、ハガイ書、マラキ書のことです。これらの預言書を見ると、人々がこの基礎の上に何を建てようとしたのかがわかります。この新しい建物は「どのような種類の」ものだったのでしょう?しかし、「それは『旧約聖書』のことです」という反論をまたもやされるなら、私が前の章で述べたことを思い出して下さい。これに対応するものを新約聖書の中に、まさに私たち自身の経綸の中に見いだすことができます。イザヤ書五十三章と並列するものとしてローマ人への手紙があります。この手紙では、十字架はあらゆる切り株、悪、もつれと遭遇しますが、その土地を清めて、新たな展望を拓きます。この新たな展望がローマ八章に示されています。神は今やご自分の基礎を持っておられます。しかし、このイザヤ書の後半の章に相当するものは何でしょう?


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