イザヤの預言の五十四章から、回復と再建に向けた神の動きが始まることを見ました。この新たな展望のために、十字架がその道を清めました。五十四章から先は、数多くの明るい希望に満ちた調べが鳴り響きます。例えば、六十章の冒頭はこう述べています。

 「起きよ、光を放て、あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから」。

 十字架により、道は開かれ、土地は清められ、土台が据えられました。そこで、主はご自分の民の回復、復興、再建というこの問題全体に向かわれます。新たな展望、新たな希望、新たな慰めのメッセージが与えられます。しかし、それと共に、新たな調べが鳴り響きます。イザヤ書後半のこれらの章では、この新たな展望は光と影の両方を帯びています。太陽が昇ります。「あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから」――これは夏の早朝に昇る太陽のようです。次に、この太陽の面をまるで黒雲が覆ってしまったかのようです。この黒雲はたちまち過ぎ去るもので、一時的なものにすぎないのかもしれません。しかし、「この展望は一変してしまうのだろうか?明るい時は過ぎ去って、もうおしまいなのだろうか?」という疑問が心に生じます。

 イザヤ書後半のこれらの章は、まさにこのようです。太陽――主の栄光――が昇りました。明るい展望が見えます。しかし次に、ここかしこで、五十八章のような暗い章に出くわします。五十八章は次のように始まります。

 「大いに呼ばわって声を惜しむな。あなたの声をラッパのようにあげ、私の民にその咎を告げよ……」。

 時々、このような黒雲がやって来て、太陽の面を通り過ぎるかのように思われます。この新たな展望が開かれているにもかかわらず、そうなのです。そして、この黒雲は先行き不安な感覚を心に与えます。この「輝かしい朝」はこんなにも早く過ぎ去ってしまうのでしょうか?複雑な気持ちになってしまいます。「この新たな展望にしたがってすべては上手く行き、この約束らしきものにしたがって完成される」という確信はまだ感じられません。

 主の側からすると、もちろん、何の問題もありません。主はご自分のために新たな土台を持っておられ、積極的な御旨を持つ者としてご自身を示されます。主に二心はなく、回転や変化の影もありません。主の側からすると、万事は次のことを示しています。すなわち、主は何事かに取り組んでおられるのです――実際のところ、主は新たな時代、新たな状況を求めておられるのです。そうです、主の側について言うと、主は積極的な御方なのです。


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