十字架はこれに至る唯一の道である

 主イエスの高揚、戴冠、栄光化について話したり説教したりすることは、とても容易です――こうしたことについて話すのは素晴らしいです。もちろん、この彼の教会、キリストの教会、彼のからだである教会は、とても偉大なものです――神の偉大な傑作です。たしかに、私たちはこれについて話すのが好きです。しかし、これらのものが私たちの内なるいのちをとらえているかどうかの試金石は、どれだけ自分の内で十字架に働いてもらうかです。なぜなら、これらの偉大な事柄――彼の高揚とその教会――は、信者の内に十字架が働かなければ実現されえないからです。

 これはただちにもちあがる要求であり、とても深く心を探ります。私たちが主と共に前進する時、遅かれ早かれ、いずれにせよ、そうなります。私たちの言葉使い、話、振る舞いはみな、これによって試されるでしょう。主は言われるでしょう、「そうです――しかし、この特定のことやあのことで、あなたは自分の内に十字架の働きを受け入れる覚悟があるでしょうか?――あの特定の関係、あなた自身に関するこの事柄、あなたが関わりを持っているあの件についてはどうでしょう?あなたは十字架にこれらのものを対処してもらう覚悟はあるでしょうか?」。これに対する答えから、結局のところ、私たちがキリストの高揚と立証のために関心を持っているのかどうかがわかります。十字架に対する私たちの評価や態度によって、これらに対する私たちの関心がわかるのです。

 他方、「おお、十字架についてはこれまでさんざん聞いてきました。まったくワンパターンですね」という道を取るなら――十字架を見下げたり、神が設けて下さった十字架をそれ以下のものとするような姿勢を取りうるなら、また私たちの態度が十字架の重要性を過小評価しうるものなら、それは私たちが主イエスの高揚に対するこの関心によってまだ内的にとらえられていない証拠です。

 忘れないで下さい、十字架がなかったら、彼ご自身も決して高く上げられなかったでしょう。あの力強い「それゆえに……」があったのです。それゆえに?「死に至るまで、実に十字架の死に至るまでも従順になられました。それゆえに、神もまた彼を高く上げて……」(ピリピ人への手紙二章八、九節)。十字架がなかったら、彼は決して高く上げられなかったでしょう。そして、彼の民の中に十字架が働かない限り、原則として、彼は決して高く上げられることはありません。十字架があなたや私の中にあるものを対処しない限り、主イエスが私たちの生活の中で栄光を受けることはありえません。これは明らかなことではないでしょうか。彼の教会に関しても――十字架がなかったら教会は決して誕生しなかったでしょうし、十字架がなければ今日教会の現れもありえません。教会の始まり、継続、成長、究極的完成は、常に十字架の法則によります。霊的であれ、人数的であれ、教会の増し加わりは常に十字架によります。他に方法はありません。ですから、これは私たちに対するとても現実的な試金石であり、とても現実的な課題なのです。


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