(2) 苦しみの実である子孫に関して

 主の御腕はまた、主のこの僕の苦しみの実である子孫とも不可分な関係にあります。「誰に主の御腕は現されるのか?」。この御方に対してです。「彼は自分の子孫を見る」「彼は自分の魂の苦しみを見る」。教会は本質的に彼の苦しみの実であり、人々が造ったものや建てたものではありません。教会はまさに彼ご自身の苦悩と苦しみから生じたものであり、彼の十字架から生まれたものです。主の御腕はこれと不可分な関係にあります。

 ですから、あなたや私がその一部分となることの重要性が、きっとおわかりになると思います。私は慎重を期して「その一部分」という言葉を用いることにします。私たちには物事をあまりにも個人的なものにしてしまう危険性があります――つまり、あまりにも多くの場合、私たちは大きな事柄の一部になることを好まず、自分自身の上に焦点を置きたがって、自分に焦点が置かれるなら幸いに感じるのです!「私はもっと偉大なものの一部にすぎませんし、何か別のことのごく一部にすぎません」と言わなくてはならなくなると――それをあまり面白く感じないのです!ああ、しかし、主の御腕はもっと偉大なものと結びついており、私たちはおそらくそのほんの一部にすぎませんし、私たちが主の御腕の恩恵にあずかるのも、全体の一部としてなのです。たとえば、主の御腕がある地元の群れと共にあったとしましょう。その場合、私たちが主の御腕を見いだすことができるのは、その地元の群れと実際に一緒になる時です。もし独立した個人的な道を取るなら、主の御腕を見いだすことはないでしょう。その立場に基づいて主が私たちのそばに立って下さることは決してないでしょう。自分自身の独立性や個人主義を放棄して(もちろん、個人的にそうしてはいけません)、主が全き興味と関心を抱いておられるものの中に入り込むことが、とても重要です。私たちはそのために生きなければなりません。なぜなら、そこに私たちは主の御腕を見いだすからです。


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