キリストの輝かしい苦難

 五十三章には、主の僕の苦難の身代わり的性格を描写する十一の表現があります。

一.「彼は私たちの苦悩を担った」(四節)
二.「彼は私たちの悲しみを負った」(四節)
三.「彼は私たちの咎のために傷つけられた」(五節)
四.「彼は私たちの不法のために砕かれた」(五節)
五.「彼は懲らしめられて私たちに平安を与え」(五節)
六.「彼の打ち傷によって私たちは癒された」(五節)
七.「主は私たち全員の不義を彼の上に置いた」(八節)
八.「わが民の咎のゆえに彼は打たれた」(十節)
九.「あなたは彼の魂を罪のための供え物とされた」(十一節)
十.「彼は彼らの不義を負う」(十一節)
十一.「彼は多くの者の罪を担う」(十二節)

 ここで使われている三つの言葉に注意すると、とてもためになります。この三つの言葉は彼が負われたものを描写する言葉であり、「不義」、「咎」、「罪」という言葉です。レビ記十六章を見ると、イザヤが何を言っていたのか、また聖霊がイザヤを通して何を示しておられるのかがわかります。

 「イスラエルの子らの汚れと、その咎、そのすべての罪のゆえに、聖所のために贖いをしなければならない。また彼らの汚れのうちにある会見の幕屋のためにも、そのようにしなければならない」(レビ十六・十六)。

 「そしてアロンは、その生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエルの子らのすべての不義と、すべての咎、すべての罪をその上に告白しなければならない」(二十二節)。ここにイザヤ書五十三章の三つの言葉が出て来ます。

 「こうしてやぎは彼らのすべての不義をになって、人里離れた地に行くであろう。彼はそのやぎを荒野に送らなければならない」(二十二節)。

 「この日、あなたたちのため、あなたたちを清めるために、贖いがなされ、あなたたちは主の御前ですべての罪から清められるからである」(三十節)。

 「これはあなたたちが永久に守るべき定めであって、イスラエルの子らのすべての罪のために、年に一度あがないをするものである」(三十四節)。

 ですから、このイザヤ書には、贖いのやぎの働きに相当する働きが記されているのです。この言葉はこの章に完全にあてはまります。この苦難の僕は「贖いのやぎ」であり、不義、咎、罪を担って、荒野に、人里離れた地に追放されます。

 このことから、主の御腕について、キリストの奉仕との関連において、どのような結論を下すべきでしょうか?


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