(2)いつまでも残る命の実

 主の御腕の意義及び証拠と思われる二番目のものは、いつまでも残る霊的な命の実です。イザヤ書五十三章十節、「彼は自分の子孫を見る」。すなわち、いつまでも残る霊的子孫です。彼の内にあったこの命は、新たな形と表現をまとい、今や永続する、確立された、壊せないものになりました。地上に生きて、自分の働きを行い、地上を去るだけだとしたら――思い出はますますぼやけて行き、過去へと消え去って行くだけだとしたら――それにいったい何の意味があるというのでしょう?ある人々が好んで歌う、このとても重苦しい節にもこれが言えます。

 「時は、常に逆巻く潮流のように
 すべての子らを流し去る。
 子らは飛び去り、忘れ去られる、
 夜明けと共に消え失せる夢のように。」

 しかし、これは極端な悲観主義です!これが私たちの相続財産であってはなりません。いかなる主の僕も、露のように「忘れ去られ」、「運び去られ」、消え去って、後に何も残さないようなことがあってはなりません。いいえ、「彼は自分の子孫を見る」。主のすべての真の僕のために現される主の御腕は、次のことを意味しなければなりません。すなわち、一時的なものにすぎない、奉仕の形式や、その器と構造の表現が過ぎ去った後も、そこには壊すことのできない何かが残るべきであり、常に前進し続けて、天において永遠に残るものにならなければならないのです。これが主の御腕です!これこそ、あなたや私が願ってやまない人生の証しではないでしょうか?確かに、ただこれだけが私たちの人生を正当化することができます!大事なのは、私たちがあらゆることを行って、まだ地上にいる間に、それを大々的に示すことではありません。私たちが去った後も、働きが進み続け、子孫――滅びることのない霊的子孫――が生き続けることなのです。

 これが「主の御腕」という言葉で聖書が言わんとしていることです。主の御腕とは証印を押される主であり、状況に介入される主です。主の御腕は主から出たものを、壊すことのできないものとして確立します。あなたはこのような方法で主の御腕が欲しくないでしょうか?私たちはみな、霊的に豊かに実を結ぶこと、霊的増し加わり、停滞しないこと、おしまいにならないこと、進み続けることを願っています。主のあらゆる真の僕について、これを見ることができるのではないでしょうか?――彼らが去った後、主がそこにやって来られ、彼らの務めの傍らに立たれます。エレミヤが去った後、主はエレミヤの傍らに立たれました、「エレミヤの口を通して語られた主の御言葉が成就されるために、主はペルシャのクロス王の霊を感動させて、彼が一つの布告を出すようにされた……」(歴代誌下三十六・二十二、エズラ一・一、ダニエル九・二)。パウロはアジアの七つの教会で奉仕をして、今や彼は去ります。しかし、主はこの七つの教会に戻って来て、ご自分の僕のこの務めを擁護されます(使徒十九・十、二十六、黙示録一~三)。これが主の御腕です――主は、ご自分の僕の生涯によりご自分から出たものが滅びることを、お許しになりません。それは確立されるのです。(サムエルについて述べられていることと比較せよ。サムエル上三・十九、二十及び二十八・十七)。


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