(1)取った道の正しさの証明

 さて、主の民のために現される主の御腕が第一に意味するのは、それは彼らの取った道の正しさを証明するものであるということです。これを念頭に置いて聖書を読むなら、どれほど多くのことがこの周辺を巡っているのかがわかります。自分の取った道の正しさが最後に証明されること、これはとても重要な問題であることに、あなたは同意されるでしょう。私たちがある道を取り、自分自身と自分の持ち物をすべてそれにつぎこみ、自分の人生をそのためにその中に注ぎ込んだのに、最後になって、自分が間違っていたこと、自分の取った道の正しさを主が証明して下さらないことがわかったとしたら、これほど恐ろしい悲劇的なことはありません。自分の取った道に対して最後に神から承認を受けること、これはまさに極めて重要なことです――人々や悪鬼が何をしようとも、それに対抗して、それにもかかわらず、「この人は正しいのです!」と神が言って下さることが重要なのです。結局のところ、このようにしてヨブの正しさが証明されたのではないでしょうか?ヨブはどれほど誤解や偽りにあったことでしょう!しかし最後に、「私の僕ヨブは正しい」と神は言われました。神がこのように言って下さることは、決して小さなことではありません。イザヤ書五十三章でもそうです。何があろうと、神は取った道の正しさを証明されます。この「何があろうと」という句が、この章のかなりの部分を占めているのではないでしょうか?――矛盾や誤解の重さで潰されそうになります。しかし最後に、この僕の正しさが証明されます。神は「私の僕は正しい」と言われます。「主の御腕は誰に現されるのか?」。この人に――この人に現されるのです!

 この思想が聖書中至る所に見られます。神と共に歩んだ信仰の偉人たち全員について、この思想を見ることができます。何と困難な道を彼らは進んだことでしょう!しかし最後に、神は言葉で擁護するだけでなく、極めて実際的な方法でも擁護して、「この人は正しい、この人は正しい」と言われたのです。これが主の御腕の意味です。これこそ主の御腕を求める時に私が欲しているものです。「おお、主よ、最後にあなたがその道の傍らに立って、『この人は正しかった』と言うことが出来る道、そのような道を取ることができますように」。あなたはこれを願うでしょうか?このような結末にならないものは何であれ、何の価値もありません。


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