主の御腕が現される必要性
(a)主ご自身の民の間で

 後で、この質問をすることにします、「主の御腕がいつ、どの人々のために、いかなる状況に対して現されるにせよ、その現れはどのような原則に基づいているのでしょう?」。さしあたって、今日、主の御腕が現されるとても大きな必要があるという事実に、私たちの注意を限定することにします。第一に、主ご自身の民の間に、この必要が存在しています。その必要性は根強いものであり、差し迫ったものです。実に、この必要は個人的な個々の問題になっています。主が私たち一人一人と個人的に共に立つことができるかどうかは、とても重大な結果につながります――主は御力と大能を帯びて私たちの側に立ち、あなたや私のために個人的に御腕を示すことができるのでしょうか?主はあなたや私にご自分を委ねて、「私は力を帯びて、この男性と共にいることができ、この女性と共にいることができます。私は彼らの傍らに私の力を置くことができます」と言えるでしょうか?これが大いに重要な問題です。

 また、私たちは地元にいる主の民の群れですが、主はご自分の力で私たちを支えることはできるのでしょうか?これもまた、とても重要な問題です。主は御力を帯びて私たちと共に立ち、「これこそ私が求めてきたものであり、私が守りたいものであり、そのために私の力を行使したいものです。私はこれと共にあり、この中にいます」と言えるでしょうか?これが究極的な問いです。もし主が私たちと共におられず、自由に御力を行使して、私たちのために力強くご自分を示すことができないなら、どんなことも――私たちのあらゆる奮闘、教え、時間や力の支出も――何の役にも立たないのではないでしょうか?

 個人や地元の群れに言えることは、この世にいる神の民にも言えます。なぜなら、神の民全体がこの世界情勢の中に巻き込まれており、主の御腕以外の何ものも彼らを救えないからです。ただ一つのものだけが主の民の今日の必要と状況に応じられます。それは、主が御腕をあらわにされることであり、主が力強い御腕を「下される」ことです。


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