「神の御心に適う者」――この言葉の豊かな意味に移ることにします。聖書の完全な啓示は、永遠の時の前の神の御旨に、私たちを直ちに連れ戻します。ここで私たちは神の決意を見ることが許されます。その神の決意とは、この宇宙は究極的にはひとりの人を中心とするものになり、このひとりの人によって治められなければならない、ということです。しかし、これはたんなる役職上のことであってはならず、独断的な選出、選択、指名によるものであってはなりません。この決定は、性格、種類、性質によって支配されていなければなりませんでした。その人はある種類の人です。その人は神の特徴をすべて体現し、表現して、ただこの基準によって万物の価値を決定されます。この人はご自分の性質に基づいて、最終的に「万物」をご自分の中に集約されます。この人はまた同様にして「万物を満た」されます。このようにして、機関、組織、運動、計画によらずに、神は御旨を達成されます。それはある有機体によってです。神の御旨の次の段階は、「われわれの形に、われわれの姿に似せて人を造ろう」でした。これは原則として上述したことに対応しています。こうしてアダムが造られましたが、アダムは「来るべき方の予型」(ローマ人への手紙五章十四節)でした。次に、ただちに歴史が始まりましたが、その歴史はこの「ひとりの御方」へと至る道から逸れてしまいました。それでも依然として、神と共に歩んだ人々の一本の長い路線がありました。この人々はめいめいがこの御方の何らかの特徴を体現し、表現していました。最終的に、それらの特徴はこの御方によって完全にまとまって現されることになります。

 ついに、この御方が到来されました。神はこの御方について「この者を私は喜ぶ」と言うことができました。この御方は性質的にも度量的にも神の御心に適う者であり、そのような人はただこの御方だけであって他にはいませんでした。この御方は天や地獄が課しうるあらゆる試練や試みにさらされ、他の誰も受けたことがないほどの神を信じる信仰の試練を受けました。他方、この御方は「私たちのために罪とされ」、「私たちのために呪いとされ」ました。この御方は「短い間」――それは永遠のように思われたに違いありません――神から見捨てられなければなりませんでしたが、勝利を収めて、「父よ!」という叫びと共に死なれました。「父よ、私の霊を御手に委ねます」。ああ、驚くべき信仰の勝利!「神は自分から遠く離れていて、自分なんかには何の興味も持っておられない」とあなたは少しばかり感じたことはあるでしょうか?神の臨在の感覚が雲によって遮られてしまう経験をしたことはあるでしょうか?これが神の愛と信実さを信じる信仰にとってどれほど重大な試みであるか、ご存じではないでしょうか?このような時、あの悪しき者はすぐさまあなたに対して神を訴え、神を中傷し、あなたの信仰を破壊する目論見をもって、その経験に対するありとあらゆる解釈を吹聴するのではないでしょうか?この試みを一万倍強めて、信仰を破壊する手立てが尽きるほどにしてみなさい。なぜなら、この場合、いかなる人に課せられた試練よりも多くの試練がこの御方に課せられたからです。そうするなら、キリストがいかなる試練をくぐられたのか、そしてキリストの勝利がいかに偉大なものだったのか、あなたはわかるようになります。

 「それゆえに神は彼を高く上げられました」。この「人」は神の右に上げられて、代表「人」とされました。神はご自分の「人」、御業の目的を獲得されました。人の運命は――善きにしろ、悪しきにしろ――この御方と関係しています。この御方は「最初であり最後であり」、「神に造られたものの初め」です。教会にとって最も必要なことの一つは、神の宇宙におけるキリストの意義に関する新鮮な力強い理解を回復すること、あるいはそれを得ることです。すべてはこの御方に対する私たちの理解にかかっているのです。

 どうか注意して下さい。前に述べたことから、私たちはキリストの神性を脇に置いていると思う人は誰もいないでしょう。これから述べようとしていることについても、教会はキリストの神性にあずかるようになると私たちが言っているとは思わないで下さい。

 しかし、こう述べただけでは、すべてを述べたことにはなりません。聖書のさらに豊かな進んだ啓示が示しているように、この同じ永遠の神の御旨によると、この人の豊かさや完全さは団体的な方法で実現されなければなりません。それは最終的に、神の宇宙が「ひとりの新しい人」を中心としたものになるためです。この新しい人は普遍的なものであり、無数の人々から成っていますが、それでもひとりの個人です。それはこの御方が皆の内に住んでおられ、この御方はひとりであって分けることができないからです。「キリストのからだ」と呼ばれているこの団体的実体は「御子のかたちに同形化されるよう定められています。それは御子が多くの兄弟たちの間で長子となるためです」(ローマ人への手紙八章二十九節)。これは神の目的を示しており、神の方法を示しています。神の目的は機関、宗教、教義、友愛会、組織、教理体系、一組の働きや活動ではありません。神の目的は一人の霊の人であり、ひとりの有機的な霊的からだなのです。


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