必要とされている改革の性質とはいかなるものか?

 一つの文章で述べると、それは神の御旨、目的、方法という新しい支配的概念と完全に関係しています。「それは何か?」と問われるなら、「人である!」と答えます。

人!

 イスラエルの歴史を見ると、この考えにほぼ完全に合致する一コマがあります。この歴史の一コマには次のような二つの表題を付けることができるでしょう。
「他のすべての国々と同じように、私たちに王を与えて下さい」

「神は一人の人を見いだされた」
(サムエル記上八章五節、十三章十四節)
です。

 この二番目の表題のより詳しいものは使徒の働き十三章二十二節にあります、「私はダビデを見いだした。(中略)この人は私の心に適う者で、私の意志をことごとく行うであろう」。この二つの対照的選択の内に潜む最も深い性質について、こう述べることができるでしょう。サウルは人が選んだ者でした。つまり、霊的衰退の時に、神の民が選んだ者だったのです。王が欲しいという考えそのものは間違っていませんでした。なぜなら、神ご自身が王を備えられたからです(申命記十七章十四~十五節)。間違っていたのは、神との親密な歩みを失った結果生じた「他のすべての国々と同じように」という原則でした。「国々と同じように」という言葉は、その組織や働きの多くの事柄を意味するものかもしれませんが、それはまさに、この世が事を行うのと同じ方法で神の事柄を行うことを意味します。神の教会の領域の中でこの世の真似をすることなのです。王は人の要求すべてに応えなければなりません。これが一体何を意味するのかはまさに、広く行き渡って今日キリスト教の中にはびこるようになった体制を見ればわかります。サウルには称賛すべき点も多々あり、神は主権をもって同行して、正しいことについてはできるだけ祝福して協力されました。しかし、主はすべてをご存じであり、常に大きな条件付きで、将来の霊的災厄を予見しておられました。「人は上辺うわべを見るが、神は心を見る」。これがこの歴史的危機に関係している御言葉です。そして、この御言葉はキリスト教のかなりの部分を支配している基準を見事に要約したものでもあります。「人は上辺うわべを見る」。見ばえや魅力、印象や重厚さ、支援を得る魅力や保証、成功して影響を及ぼす見込み。このような方向を目指す、広告、コマーシャル、競争、虚栄、誇示、その他多くのことがあり、クリスチャンの働きでもこうしたことが当たり前になっています。見るのも悲しいことですが、教会の霊の命が低調になる時、教会はどれほど多くのものを持たずにはいられないことでしょう。他方、とても喜ばしいことに、霊の命が高まる時、どれほど必要なものが少なくなり、多くのものが不用になることでしょう。

 しかし、消極面から積極面に移ることにしましょう。「神は一人の人を見いだされた」。この御言葉はエッサイの子であるダビデの遥か彼方まで及んでいます。神はダビデのうちに何をご覧になったので、ダビデは神の御心に適っていたのか、そのすべてについて考察するには紙面が足りません。私たちに言えるのは、神はこの若者の隠れた生活をご覧になっていたこと、そしてその動機や価値観を完全に考慮しておられたということだけです。


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