これを言い換えてみましょう。主は何を復興されるのでしょう?主は何に注意されるのでしょう?イスラエルのリバイバルの例として、ヨシヤとヘゼキヤの時代があります。このリバイバルの出来事により、十字架に付けられたキリスト(過越)が完全に目の前に示されました。このリバイバルの影響により、空しい誤った宗教的儀式や偶像は粉砕されました。しかし、このリバイバルは皮相的なものだったのです。その効力は十分深くまでは至らず、人々が昔の水準に戻った時、こうしたものがまだ人々の心の中に残っていることが判明しました。この事例に完全には対応していないかもしれませんが、それに実際に類似しているものがいくつかあります。これまで儀式やその類のことについて述べてきましたが、それがすべてではありません。儀式について言えることは、互いに顕著な特徴を帯びている分裂した宗派や「教会」についても言えます。この点に関して私たちは大いに公平かつ公正でありたいと願っています。さしあたって、これに関してさらに述べることにします。

 さしあたっての論点は、神の御霊は数々の真実な霊的運動により、次のことを示す非常に多くの証拠を示しておられるということです。すなわち、神はこれまで記してきたこの既存の組織全体を評価して、それが重要ではないばかりか、妨げであって制限するものに他ならないことを示しておられるのです。主の民が御霊の高波の中にある時、不幸なことに、ある指導者や講演者が自分の特定の教会に本質的に属している、決まり、組織、手順を持ち込んだとしましょう。すると、霊的な人々は何か痛み、身震い、影に近いものを感じ、全員がそれを哀れなこと、過ち、かなり後味の悪いものとして振り返ることになるのです。そのようなことによって集会の水準が落ち、それを回復するのが容易ではないことがしばしばあります。実を言うと、御霊が悲しんでおられるのです。これについて両面から判断することができます。劣ったものから逃れるには、神の御霊の力強い訪れが必要です。ただこれだけが奏功します。ほとんどの人はこれに同意します。この主張にしたがってかなり多くのことが述べられてきたのを、私たちは聞いてきました。しかし、困惑せずにはいられないことに、このようなことが何度も繰り返し強調されてきたにもかかわらず、その主張は決して十分な力を持つことがなく、実際には何の調整もなされずに終わるように思われるのです。ですから他方において、神の御霊がご自分の道を進まれる時、御霊は邪魔物を取り除く働きを何度も繰り返されますが、もし私たちがそうした邪魔物に真剣に向き合うなら、いっそう高い水準にある恒久的な霊の命、豊かさ、効力に至る道が開かれるのではないでしょうか?

 これは私たちを最初の問いに連れ戻します。リバイバルの本質的要素は改革ではないのでしょうか?「天の窓」(マラキ書三章十節)を開くために、主は抜本的な調整を要求しておられるのではないでしょうか?過ぎ去り行くリバイバルの波による神の「訪れ」はあまり必要なものではなく――少なくとも――その後長期間にわたって新たな命の水準を可能ならしめる改革こそ必要なものであることに、私たちは同意できるのではないでしょうか?


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