(以下の文章は、再編集されて雑誌に掲載された章の中には含まれていませんでした。この箇所は元の本では、この章の結語でした。)

さらに優った方法

 これまで一定の割合を献げることについて述べて来ましたが、次のことを強調しておきたいと思います。すなわち、一定の割合を取っておくことや献げないでいることを、私たちはほのめかしたり、言わんとしていたわけではありません。私たちが求めているのは与えることであり、まず最初に主が期待しておられる最低限を与えること、次に系統的に献げる問題の手助けをすることです。神の御言葉によると、「一部は主のものであり、残りは人のもの」ということは決してありません。そうではなく、一部分は全体を代表するものなのです。そして、初穂が意味するのは、すべては主のものであり、そのように見なすべきである、ということなのです。聖霊が全き道を行かれる時、聖霊はこの原則を明らかにされます。その結果、いかなるものも個人の私物として持つことがなくなり、すべてはこの証しの光の中に置かれ、主のものとして勘定されるようになります(使徒の働き二章四十四、四十五節、四章三十四―三十七節)。これはアナニヤとサッピラの罪の大部分に触れるものです。彼らは聖霊に対して偽っただけでなく、代金の一部分を取っておいたのです。ペテロは御霊によって事実上次のように述べました、「この問題に触れるつもりなら、あなたは完全に従うか、完全に従わないかのどちらかを選ばなければなりません。すべてを自分のものにしておくのは、あなたの自由です。しかし、一部を神に献げ、一部を自分に取っておくことはできません。すべては神のものであると見なすか、さもなければ、神のものは何もないと見なすかのいずれかです。神は妬むほどにすべてを欲しておられるのです」。地上で生活していると数々の義務が私たちに課せられますが、私たちはそれらの義務をクリスチャン生活や神への礼拝にまつわるものとして受け入れなければなりません。霊的義務とこの世の義務とは、必ずしもきっちりと分かれているわけではありません。正当な方法で私たちに訪れるものはみな、証しのために有用なものと見なさなければなりません。律法的立場を離れて恵みの立場に移る人は、御霊は自由さや気前よさを生み出される御方であることがすぐにわかるでしょう。長期的に見るなら、神はいかなる人にも借りをつくることはありません。

 こうして、このように極めて実際的な注意を述べて、主の解放に関するこのメッセージを終えることにします。次のことに疑いの余地はありません。すなわち、他の方法同様この方法によって、生活や教会を統治する御霊の統治の証拠を見ることができるようになるのです。そして、主は解放されて、この世に対する御旨を妨げられずに進めることができるのです。こうしたことは証しであり、試金石でもあります。

 「どうか、私たちの内に働く力によって、私たちが求めまた思うところのいっさいを、遥かに超えて豊かに行うことができる御方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が世々限りなくありますように」(エペソ人への手紙三章二十節)


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