教会の財政

 大切なのは、教会が自由に使える金額ではありません。これが判断基準なのではありません。大切なのは、キリストの十字架の本質的目的をどれだけ理解しているかです。

 財政的に余裕があっても、霊的に破産している教会がたくさんあります。そうした教会では、外の働き人たちに頼らずに、自分たちの務めを効果的に進めることができません。他方、厳しい財政事情により、神から与えられた十字架の働きを遂行できない教会が、さらにたくさんあります。このような状況は両方とも、カルバリの否定や制限であることは明らかです。何かが間違っているからです。

 さて、問題を解決するには、絶対的に堅く据えられている十字架の数々の原則について理解しなければなりません。その諸原則とは、十字架は直接的かつ積極的に、この世やその手段に反対する、ということです。

 ここで、この世に関するキリストや使徒たちの教えを要約する必要はないでしょう。「この世は十字架と神の王国に敵対するものであり、禁止され、排除されている」と言えば十分でしょう。

 カルバリの絶対的勝利を命と奉仕の中に持つには、私たちは十字架と完全に調和しなければなりません。それには、この世に対して「十字架」に付けられることが必要であり、私たちにとってこの世は「十字架」に付けられたものとなる必要があります。バザーやコンサートで、カルバリの働きのために資金を集めようとすることや、カルバリに人々を引き寄せようとすることは、この世の精神、方法、原則から出ており、それゆえ、カルバリの勝利の道を邪魔します。

 こうしたことを勧める人たちはたいてい、極めて非霊的でこの世的な精神の持ち主であり、教会の真の霊の働きには少しも役に立たない人々です。

 そうです!カルバリの成果にあずかるには、カルバリの数々の原則に従う必要があるのです。「肉」や「世」はカルバリの原則に反します。

 信者も、教会も、あらゆる方法、手段も、十字架の目的と絶対的に一つとならなければなりません。これを十字架は要求します。前に述べたように、王国のための主の方法と調和しなければならないのです。

 十字架は信者や教会にとって、キリストの死(自己やこの世に対する死、その関心、野心、性質に対する死)を通して、キリストの権威(エクスーシア マタイ二十八・十八等)によって、キリストに結合されることを意味します。そうである以上、カルバリの働きが一時的な環境や状況によって妨げを受けるようなことがあってはなりません。しかし、注意しましょう。私たちが計画を立てるのではなく、神のご計画が何であるのかを常にわきまえる必要があるのです。思い込みによって、神が良しとされないことを神に要求してしまうことがしばしばあります。人間的水準から離れて霊的水準に移る時、ごくわずかな経費でどれほどのことをなしうるかは、まさに驚くばかりです。


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