この問題は生か死かの問題である

 さて、イエスの証しの中心的問題について見ることにします。イエスの証しは彼の血を通して、彼の血によりなされるものであり、生か死か、死か生かの問題です。これが中心的問題です。ああ、どうか私の話にしっかりとついてきて下さい。なぜなら間もなく、この事柄の偉大な内容をあなたは見ることになるからです。イエスの証しはイエスの血によってなされるものですが、その中心的問題は生か死かの問題です。主の民がこれをよく理解していたなら、彼らは自分たちの立場を堅固なものにしていたでしょうし、この世における自分たちの使命の何たるかをよく知り、イエスの証しに関わるとき自分たちが霊の領域で遭遇することになるものをことごとく十分に説明することができていたでしょう。イエスの証しは生か死かの問題です。イエスの証しは罪や聖化に関するものであるだけではありませんし、古い人や新しい人の問題であるだけではありません。イエスの証しの内容と範囲はもっと遥かに大きな問題と関係しており、その周辺を巡っているのです。その問題とは生か死かの問題です。この中心的問題を理解しない限り、他の問題を理解することはまったくできません。罪の問題も、新しい人、新しい種族、新創造に属するものをもたらすという問題も、人々をサタンの力から解放して神にもたらすという問題も、決して理解することはできません。この中心的問題を理解しない限り、あなたは立ち往生したままでしょう。聖化というこの問題はそもそもどこから始まるのでしょう?新創造というこの問題はそもそもどこから始まるのでしょう?サタンの支配からの人々の解放というこの問題はそもそもどこから始まるのでしょう?死の権が対処された所から、すべては始まります。あなたや私が戦っているのは、諸々の罪だけではありませんし、旧創造だけでもありません。私たちの古い人に没頭してそれに執着するあまり、私たちはがんじがらめに縛られて、どうにもならなくなることもありえます。聖化に関するありとあらゆる真理や教え、特に複数形の罪や単数形の罪の問題にがんじがらめになって手足を縛られてしまい、どうにもならなくなることもありえます。そうなるのは、この中心的問題を理解していないからです。中心問題は死と、死の権です。私たちは主イエスの血のこの中心的問題――生か死かの問題――に来なければなりません。核心は十字架です。主が十字架の血により一度限り永遠にこの問題を解決して下さっていなければ、他の問題が解決されることもまったくなかったでしょうし、完全な福音もなかったでしょう。

 このように、イエスの証しとは十字架と十字架の内容ですから、イエスの証しの本質が何かわかります。イエスの証しは、新創造を可能ならしめるいのちに対する証しです。この証しの核心を理解するなら、それがいのちに関するものであることがわかります。このいのちがもたらされたのは、死が滅ぼされたからであり、死の力が砕かれたからであり、死の権を持つ者が無効化されたからです。人がこの証しに出会ってそれを理解し、この証しにあずかって、それを自分の証しとするなら、何が起きるのでしょう?ただちにこの人殺しがやって来るのです。


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