悲しい対比

 この征服の記録には無い意義深い点がいくつかあります。宣教運動を組織するのを、私たちはまったく読まないのです。

 費用、時間、金銭、力の限りを尽くした、代表団、講師や講義、展示、訴え、広告などのようなもの――これはみな、救われていない魂への関心をクリスチャンたちに持たせるためです――はまったく影も形もありません。遠く離れた地で神がなさったことに関する報告は、決して宣伝や唱道などの方法にはよりませんでした。私たちの見る限り、知性に訴える統計、感情に訴える悲劇的な煽動的物語、意志に訴える促しや駆り立ては、ここにはまったくありませんでした。それは第一に御霊からであり、魂からではなかったのです。この順序を逆転させようとすることが、今日のおびただしい弱さや挫折の理由であることは間違いありません。

 一般的に言って、今日、教会の世界宣教というこの問題は復活以前の土台の上にあります。主はご自分によって制限されているのではなく、ご自分の民によって制限されているのです。

 一方において、働き人が必要です。なぜなら、人類の約半分はキリストを知らないからです。他方、働き人たちは出かける用意ができているのですが、彼らを送り出す手だてがないことがしばしばです。さらに悲劇的な三番目の状況は、出かけた人の多くが霊的に挫折する状況であり、いたるところで見られます。そのため、「回心者たち」は正真正銘上から生まているわけではなく、子とする御霊も内側に本当に住むようになっているわけでもありません。悪鬼の軍勢が依然として支配し、攻撃しています。教育や土着化などにより、ゆっくりと「キリスト教」を定着させる方針が取られています。これは妥協の産物であり、真の再生という基礎に基づいて働くことに失敗したためであり、この失敗とその実際的意味を正直に認めた結果です。最終的に、多くの人が確信を失って帰郷することになります。

 こうしたことはみな、新約聖書の精神や経験とは正反対であるに違いありません。この二つの水準、新約の水準とそれ以降の大方の水準とを、仔細に区別することは難しくありません。しかし、それよりも大切なのは、昔のあの栄光の秘訣を示すことです。

 私たちは確信していますが、「昨日も、今日も、いつまでも同じ」御方は、この時代の終わりに至るまで、御業をこれと同じ水準に保つことを願っておられますし、実際に保つことができます。また、この世界の一部の地域では、初めの頃と非常に似通った方法でそれが起きています。

 ここで次に、「キリストのからだである教会」における、復活した主の御業の性質に対する探求が始まります。

 最初の問いは、「当初のこの自然な世界征服の概念、動機、原動力を示す句が何かあるのだろうか?」という問いです。

 そのような句があると思います。その句とは、「イエスの証し」です。


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