1.人のための小羊

 それは世界史の初期のことだった。人類史の始まりの時だった。明るく照らされたエデンの回廊を、人の違反と罪という黒い幕が遮った。違反を犯した御使いたちのために遥か昔に地獄が備えられていたが、暁の子であるルシファーに従って不従順に陥った堕落した星たちはそこに送られた。この刑罰の場所は堕落した人類にふさわしかったのではないだろうか?

 違反を犯した人は永遠の刑罰の地獄の中に、直ちに否応なく落ちるしかない、と普通なら思っただろう。しかし、その園の中に創造者である神が来られた。人は御顔の前から逃げた。人は神を探していなかったが、神は人を探しておられた。

 「あなたはどこにいるのか?」が、谷間に響き渡った叫びだった。「あなたはどこにいるのか?」と存在する万物の創造者は叫んだ。神を探索に駆り立てた愛はあまりにも大きかったので、人が罪の隠れ家から現れるまで神は探索をやめなかった。神の計画は人を取り戻すことだった。神の御旨は赦すことだった。世の基が据えられる前から、永遠なる神の御心と御思いの中にはこの計画があった。

 神御自身が人の罪を負うつもりだった――神御自身がそのための罰を忍ぶつもりだった。この驚くべき計画が究極的進展を迎えるとき、史上最大の奇跡が起きることになっていた。受肉の奇跡である。

 母なる自然の暖かい抱擁の中で花が咲くためには、まず小さな種が植えられなければならない。小さな種の中にどのように色彩や香り、栄光や美が隠されているのだろう、と人は思うだろう。しかし、種を土の中に植えると、神の法則に従って命が死の中から生じる。そして、神の御力が創造した花の上に夏の太陽が微笑む。

 恵みの計画を進展させる神もそうだった。ある日、一つの供え物が主にささげられた。それは、アベルがいけにえの祭壇に持ってきた一匹の小羊だった。それは一人の人のための身代わりとして命を与えるためだった。神が栄光の胸壁越しに御覧になった時、神はその小羊のうちにベツレヘムの赤子を御覧になった。粗雑な祭壇の上に注がれた血の一滴一滴のうちに、神は天の贖いのいけにえが流した血がカルバリ山の地面を染めるのを御覧になった。その種は地に落ちた。律法はその茎を通して発展することになっており、遂には神の恵みの完全な働きにより、神の花が世に対する愛の賜物としてもたらされることになっていた。

 カインの供え物は主にとって忌むべきものだった。それは彼自身の奉仕の結果だったからである。それは彼自身の労苦の成果だった。しかし、小羊の血は神の目から見て受け入れられるものだった。小羊はその血を与え、アベルは救われた。それは人のための小羊だった。

 天の法廷は賛美で鳴り響いた。人の姿をした祝福の食卓を神が備えられた時、天使たちは驚いてそれを見つめた。この食卓に全世界が招かれて、座して祝うことになっていた。このいけにえは主に受け入れられるものだった。第一の供え物は人のための小羊だった!


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