第三の園

 それから、心の中で私は御霊のささやきを聞いた。私はもう一つの園を見た。その入口を横切って、三つの空の十字架の影が長く伸びていた。霊の中で私は一人の婦人――マグダラのマリヤ――の後を追って、その園の中に入った。ちょうど、東の山々の上に日が昇り始めたところだった。

 「この園は何ですか?」と私は尋ねた。

 「死の園です」が返答だった。

 中央の十字架を見た時――そこにはもはや、数日前にそこにかかった人の血を流している姿はなかった――私はそれが墓の園であることを知った。それは死の園である、と告げられた通りだった。

 その日マリヤが泣いていたことに、何の不思議があろう?結局のところ、死には美しいところが何もない。実に残酷で醜悪である。死は引き離して分離する。人の心の奥深くに悲しみの剣をふるう。それは熱い涙を笑い、愛する大事な人々を保とうとするわれわれの空しい努力をあざ笑う。死には美しいところが何もない。

 さて、これが私の物語の結論ではない。聖書は死を敵と呼んでいる。死は征服されなければならない、と聖書は告げる。時折り、力強い預言の言葉により、死に対するわれわれの勝利の物語が生き生きと告げられる。

 これは奇妙に思われないだろうか?われわれはエデン――エデンの美しい野原――から始めて、その川々や木々、幸い、美しさと祝福について考えた。そして、人が失ったエデンに戻して下さい、と神に求めた。われわれは自分の罪を赦してもらうことを願った。涼しい夕方に再び神と共に歩むことを願った。イエスに「私の友」と呼んでもらうことを願った。「私たちは病んでおり、罪に倦んでいます」と彼に告げることを願った。

 われわれは彼の弟子になることを願った。呪われた世のイバラやアザミにはうんざりだった。われわれは御座の下から発する川を流れる命の水から飲むことを願った。贖いの恵みの道で美しい花に囲まれて歩むのを願った。御父の愛という木になるあの天の実を再び食べることを願った。確かに、われわれはあの園を求めて叫んだ。しかし、何をわれわれは見い出したか?われわれは「ゲッセマネ」と記された門に導かれ、この門を通って、空の十字架を通り過ぎ、墓の園に来たのである。

 われわれは山に行くことを祈っているのに、神はわれわれを谷に導くことによって答えられるのは何故か?われわれは神に陽光を求めているのに、神はわれわれに雨を送られる。われわれは神に健康を求めているのに、痛みと病を感じることが時々ある。われわれは神に夏の太陽の輝きを求めているのに、われわれは冬の冷たい突風の下でふるえている。どうしてか?あなたは発見したのではないか?見出したのではないか?われわれの永遠なる神の摂理的導きの中に包まれている一つの大きな秘密がある。それはとても素晴らしいものだが神秘的である。それゆえ、無割礼の心は決してそれを理解できない。


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