今日完全なものも、明日の増し加わった光の中では不完全かもしれない。人は主の御前に跪いて、自分を全く献げることができる。そうするとき、その人の願い・目的・行いはこの世の諸々の罪から分離され、聖められた人となる。私は聖化を信じる。われわれが聖くなること、これが神の御旨ではないだろうか?しかし、このような聖化はその人が「完璧な完全」に達したことを意味する、と思ってはならない。

 シナイ山の雷鳴の中で、誰が石板上に律法を記したのか?神ではなかったか?神は御自分の義務を放棄されたのだろうか、それとも、当時最善のものを人々に与えたのではなかったか?間違いを犯すことが神には可能だったのだろうか?そんなことは断じてない!これを書きつつ、私は都の城壁の外側にあった別の山のことを考えている。その山の上で私の主は十字架に付けられたのであり、主はわれわれ全員を救うために死なれた。シナイ山はその当時は完全だった。しかし、カルバリはあなたや私にとって完全だったのである。パウロがヘブル人への手紙を書いた時、彼は「古いものは良かったが、新しいものはさらに良い!」と述べた。

 あなたがヨルダン川を渡ると、その土地には巨人たちがいる。エリコの城壁の前で主の軍勢の将の力を見た後、取るべき都がいくつもある。今朝、私は夜明けに起きて、東の太陽の朝の光の中を歩いた。それは完全な日だった。私の周りに陽光の最初の黄金の光線が射した。私が歩いてると、太陽はますます高く昇って行き、空はますます明るくなって行った。昼に出かけるなら、早朝の太陽の光の中を歩いた時よりも、さらに多くの光があるだろう。朝の八時の完全な光は、真昼の光の完全さではない。

 神の子供よ、落胆してはならない!さらに優ったものに対するあなたの飢え乾きは、過去の呪いではないし、神があなたの生活に指を向けて批判しているのでもない。あなたを引き寄せる神の愛なのである。完全さにおいてさらに成長するように、そして、霊的なあらゆる事柄において増し加わり、遂にはイエスにあって成熟に達し、完全に打ち勝つ命の勝利を知るようにと、主の御声があなたを召している。


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