愛の奴隷

 他の神を持たないことは、主イエスの愛の奴隷になることを意味する!われわれは何ものにもまして御旨を行うことを欲する。感覚を喜ばせたり、自分の利己的な目的を追いかけたりするために、主を脇に置くようなことはしない。むしろ、全てを完全に明け渡して御前で祭壇の上に置く。そして、われわれの道を照らしてくれる御計画と御旨の光を求める。その時、それはわれわれの道となり、ますます輝いて真昼になる!

 実業界の中にいる人は、全く神に捧げられた生活を送るために、必ずしも自分の商売をやめる必要はない。しかし、自分の商売のためだけに生きるのではない。なぜなら、一つの燃える炎のような情熱が魂を燃やす時、他のものはすべて、無限なる永遠の御旨と一致し始めて、甘美で穏やかな平安が心と生活の両方に浸透するからである。われわれはパウロのように、「いかなる境遇でも、その中で満足することを私は学びました」と言うことができる。

 しかしながら、この麗しい境地に達するには、その前に、われわれのアダム的性質を自発的に放棄しなければならない。われわれは二人に主人に仕えることはできない。同時に二つの領域に生きることはできない。肉の中に生きつつ、そこからよじ登って出て、たまに御霊の領域の中で礼拝する、ということはできない。この二つの領域は敵対している。どちらかでなければならない。

 これが、ヨシュアが「あなたたちは今日、誰に仕えるのか選びなさい!」と叫んだ時に言わんとしたことである。献身が完全なものになることを彼は欲した。明け渡しが絶対的なものになることを彼は欲した。彼はイスラエルの絶頂とどん底の経験を知っていた。彼らはわれわれと同じように、輝かしい御力の超自然的顕現の受益者だった。しかし、繰り返し、彼らは自分自身の道に逆戻りした。天からのマナを食べていたかと思うと、その翌日にはエジプトの肉鍋を追い求めた。主の素晴らしい導きに信頼していたかと思うと、その翌日には地上の王の戴冠を求めて叫んだ。われわれは彼らと同じように選択しなければならない。


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