心の清い者

 こういうわけでわれわれの誉むべき主は、憐みによって巨大な会衆の肉体的必要を満たしつつ、御自分の忠実な従者たちの小さな群れを山々の中の或る秘密の場所に連れて行き、彼らに語られた。その間、彼らは主の足下に座った。神御自身の御霊から発した透明で純粋な流れのように注がれたこれらの永遠の真理の中から、主が彼らを教えた時、主は御自分の口を開いただけでなく、御自分の心をも開かれた。

 今日、少しの間あなたたちと論じたい一つの永遠の真理がある。それは、「幸いなるかな、心の清い者たち。彼らは神を見るからです」という真理である。何という宣言!何という約束!神を見たい、と誠実な心の持ち主は常に叫んできた。ダビデは魂の苦しみの中でこの叫びを上げた。利用可能な人の力が尽きた時、彼はかつてないほど空っぽで虚しく感じた。ダビデは再び、生ける神に飢え乾いたのである!

 神を求める願いのゆえに、アブラハムはカルデヤのウルを去って旅に出た。彼は主の御霊によって、見知らぬ土地に導かれた。とまどい困惑して座り込み、神を求めつつ神の臨在の現われを待ち望んでいた時、この叫びがヨブの心から絞り出された!「ああ、神を見出せる場所を知っていれば。そうすれば、御座のもとに行くことができたのに!」。

 神を見ない限り、人の心は決して満足することはない。これは確実である!顔と顔を合わせて神を見ない限り、あなたのせわしない魂は永遠の探求を続けるしかない。「一通り普段の仕事をこなしていれば、求めるものはすべて与えられる」と告げる歌がある。しかし私は心の中で、それが真実でないことを知っている。奉仕しても十分ではない!われわれの主のために事を為しても十分ではない。祈りの集会も不十分であり、教会奉仕も駄目である!組織に忠誠を尽くし、諸々の狂信や運動に献身しても、悲惨なことにわれわれは空っぽのままである。最終的に、われわれの存在の深い部分から、この同じ昔ながらの叫びが心から鳴り響くのである。

 復活の朝、われわれの麗しいイエスが園の木々の間を通って来られるのを見て、マリヤのすすり泣きは賛美の歌に変わった。彼らが顔と顔を合わせて会い、彼が彼女の名を呼ばれた時、彼女の涙は拭い去られた。われわれの救い主であり主である彼との個人的接触だけが、われわれの生活の必要を満たし、一人一人の心の中に存在するこの真空を満たすからである。


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