マタイによる福音書四章の最後の節は、全土から来た大群衆が主に従った、とわれわれに告げている。彼らはすぐ近くの町からやって来ただけでなく、外国からもやって来た。その集団は巨大なものだったに違いない。

 主は彼らと会い、無限の憐みにより、彼らの病に触れて彼らを癒された。しかし、われわれは次の事実を忘れることはできない。マタイ五章の冒頭の節がわれわれに告げているところによると、弟子たちと共に、主はこの巨大な群衆から逃れて、一人で山にこもられたのである。主がそうなさったことは奇妙で異常なことに思われたのではないだろうか?

 主は同じことを数千倍の人に言うこともできたのに、なぜわずか一握りの十一人か十二人の人に向かって宣べ伝えなければならなかったのか?おそらく、数千倍の人々は耳を傾けただろうが、十二人しか聞くことができなかったのである!精神が錯乱していて悪魔に取りつかれている愛する者たちや、麻痺した病人を連れてきたこの人々の大群は皆、癒しに絶大な関心を寄せていた。しかし、比較的少数の人だけが癒し主に関心を寄せていたのである!

 だから、イエスはこの少数の人のために群衆から去ったのである。御言葉をある程度受け入れて、それを受容・吸収できる人々と、彼は接触するようになった。周囲に群がる群衆は何と盲目だったことか。彼らは束の間の祝福を求めており、もっぱら、いま肉体にあって生きている生活に影響を及ぼす皮相的な事柄で満足していた。

 考えてみよ。数千の目がイエスを見ていたが、彼が実際いなかる御方なのかを見ていた目は何と少なかったことか!主の御言葉に耳を傾けていたこの群衆について考えてみよ。真に聞いていた人の少なさを考えると、胸が張り裂けそうになる。


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