キリストはわれわれの必要を満たして下さる

 この世の体系の潮流に囚われて、キリストのパースンの現実が失われるほどになってしまうおそれがある。礼拝ですら、そうなるおそれがある!宮の中でキリストを失うおそれがある!今日の宗教的礼拝の一般的潮流に囚われるあまり、人生の諸々の真実とそれらに対するキリストによる答えとが、宗教の装飾品とその計画の中に失われてしまうおそれがある。福音のまさに本質である主イエスのパースンに従ってこなかったせいで、危機が臨む時、われわれには自分たちの必要に答えてくれるものが何もないかもしれない。自分に何かが必要なことがわかると、多くの時、われわれは助けてくれそうな人のところに出向く。神と共に歩んで会話することを、われわれは学んでこなかった。困惑していて、自分の問いへの答えが欲しい時、われわれは「静まって、私こそ神であることを知る」代わりに、電話のところに行って、神の子らの誰かと連絡を取る!イスラエルは神のもとに行く代わりに人々のところに行くことができた!岩に語りかける代わりに、われわれは岩を打つ。神を第二位に置く時はいつでも、われわれは神を打っているのである!イスラエルはモーセに嘆願することができたが、ただ神だけがマナを送ることができた。人々は救いを説くことができるが、ただキリストだけが救うことができる。しかし、われわれの御父は依然として応対可能である。新しい生ける道によってわれわれは近づくことができる。この道により、恵みの御座に大胆に行くことができる。大祭司を通して行く必要はないし、自分たちのもとに行くのと同じようなものを通す必要もない!生ける神の御霊を通して、御父のもとに行けるのである!「私のもとに来なさい。あなたたち、すべて労苦して重荷を負っている者たちよ。私はあなたたちに安息を与えます。私のくびきを負って、私から学びなさい。私は柔和で心のへりくだった者だからです。そうすれば、あなたたちは自分の魂に安息を見出します。私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いからです」(マタイ十一・二十八~三十)。

 「私の羊は私の声を聞きます。私は彼らを知っており、彼らは私に従います!」(ヨハネ十・二十七)。人を高く上げることで、われわれは主イエス・キリストのパースンを侮辱し、恵みの御霊を侮ってきた。人を神とし、神を人としてきた!しかし、清算の日がわれわれの上に臨んでいる。自己から救い、互いから救って下さる解放者がここにおられる!全能の神の大いなる日が迫っている。主イエス・キリスト以外の何かに頼っているなら、誰がこの悪しき時に立ちえよう?われわれは倒れるだろう!自分の正しさを主張する時、われわれはみな道を外している。正しい御方はただひとりだからである!この御方は、「どうして私を良いと言うのですか?良い御方はただひとりしかいません。それは神です!」(マタイ十九・十七)と仰せられた。この主の宣言を前にして、自分は正しいと誰が敢えて言えよう?主は真理である!どうしてこの地位を他の権力者に敢えて与えることができよう?


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