この世の体系の展望を見る時、「なぜなら何の違いもないからです。というのは、すべての人は罪を犯して、神の栄光に欠けているからです」という神の最後通牒が真理であることをわれわれは見出す。その光景がまさにわれわれの目の前に描き出される。これらのページを書いている時、私はある国際法廷の話を聞いた。その国際法廷は、その戦争捕虜たちが有罪であることを見出したのだが、報告によると、今や自らの潔白性が危機に瀕しているとのことだった。他の人々を裁く座に着いていながら、自分が犯した罪のために裁かれなければならないというのである!誰がこれに石を投げることができよう?罪の無い者が誰かいるか?「裁いてはなりません。それは、あなたが裁かれないためです。なぜなら、あなたが裁く裁きで、あなたも裁かれるからです。また、あなたが量る量りで、あなたもまた量られるからです。なぜあなたはあなたの兄弟の目の中にある塵を見ていながら、あなた自身の目の中にある梁について考えないのですか?」。全地を裁く御方は公義を行うべきではないだろうか?自分自身の義を剥ぎ取られるこの時、各々がこの御方に向かって、「私が他の人々を赦したように、私をお赦し下さい!」と叫ぶことができるように思われる。「なぜなら、もしあなたたちが人々の罪過を赦すなら、あなたたちの天の父もあなたたちを赦して下さるからです。しかし、もしあなたたちが人々の罪過を赦さないなら、あなたたちの天の父もあなたたちの罪過を赦して下さいません!」(マタイ六・十四、十五)。なぜなら、実際のところ、われわれが釈放されるかどうかは、われわれが他の人々を釈放するかどうかにかかっているからである!われわれの主が来られたのは世を罪に定めるためではなく世を救うためであるのと同じように、主は「私たちに和解の務めを与えて下さいました。すなわち、神はキリストにあって、この世を御自身に和解させ、その罪過の責任を彼らに負わせることをしないで、私たちに和解の言葉を委ねて下さったのです」(二コリント五・十八、十)。


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