おそらく、まるで主が外側におられるかのように、過去われわれは主のもとに行ったかもしれない。手を差し伸べてわれわれに触れて下さいと、主にしつこくせがみつつ、「主よ、この体を癒して下さい」と言ってきたかもしれない。完全な顕現が臨む時、われわれは主のからだであることをわれわれは悟る。内側から働くわれわれの主の復活の命は、体・魂・霊のあらゆる必要を満たすのに十分すぎるほどである。何物もこの神聖な流れの癒しの波の中に立つことはできない。これは神の癒し以上のものである。これは神の健康である!これは「修復」される以上のことであり、「絶えず修復され続ける」ことである!これは、「神の命を臨ませて、私たちの命の裂け目や欠点を繕って下さい」と求める以上のことである。われわれの内にある神の命、また、われわれを通して流れる神の命を認識することにより、われわれは勝利にもたらされる。「何でも」という句を思い出せ。「私は、私を強めて下さるキリストにより、何でもすることができます」。これが秘訣である。キリストにより、である!しかし、キリストにより何でもすることができる、とわれわれが言う時、それが実際に意味するのは、キリストはわれわれにより何でもすることができる、ということなのである。

 毒蛇がパウロに咬みついて、その周りに立っていた未開人たちはその毒蛇が彼の腕にぶら下がっているのを見た。彼らは言った、「この人は人殺しに違いない。海からは逃れたが、正義がこの人を生かしておかないのだ」。しかし、パウロはその毒蛇を火の中に振り落として、何の害も受けなかった。「彼らは、パウロが今にも腫れ上がるか、突然、倒れて死ぬものと思っていた……」。しかし、彼らが予期していたことは起きなかった。パウロの手は腫れ上がらなかったし、パウロは死ななかった!彼はキリストの統治の下で生き、動き、思考していたのである!この支配権が権威を振るっており、いかなる外側の影響力や力もそれを征服したり覆したりすることはできなかった。パウロがこう述べたのも不思議ではない。「私は確信しています。今も今後も、現在のものも将来のものも、人の支配者や権力者も、生も死も、いかなるものも、内側に宿っているこの燃える炎のような愛から私を引き離すことはできません」。キリストが王座に着いておられた!他のものはみな、キリストに従っていたのである!


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ