真の実

 自分の財産を見て回った人のことを忘れてはならない。自己の命の高ぶりによって慢心し、自分の財産の多さに浮かれて、彼は「私は自分の納屋を壊して、もっと大きいのを建てよう」と宣言した。しかし、建てる機会は決して訪れなかった。天からの声が、「ああ、愚かな者よ、今晩あなたの魂は取り去られる」と叫んだ。自分たちのアダムに似た性質という沈みゆく砂の上に建てることに固執する時、人々は愚かではないだろうか?依然として肉の欲求を追い求めることに捧げられている宮の中に、キリストの命が建て上げられたり現わされたりすることが可能だろうか?この同じ泉から純粋な甘い水が流れることができるだろうか?これはキリストがゲッセマネの園に行く途上で弟子たちに与えた、燃えるような真理ではなかっただろうか?その時、キリストは弟子たちに、ブドウの木とその枝々についての訓話を説かれた。枝は自分では実を結べなかった。実を結ぶのはブドウの木の命であって、それが枝に流れるのである。唯一実を結ぶのはキリストの命であって、それがわれわれの中に流れ、われわれを通して流れるのである!実を結ぶのは熱意ではない。熱心さではない。これらのものは神聖な実を結べない。われわれの主の臨在と活気づける力から離れた奉仕でもない。キリストのための行いではなく、われわれを通してキリストが行われることである。われわれは神と取り引きすること、ただ神とだけ取り引きすることを学ばなければならない。自分の納屋を建てて次にもっと大きなものを建てることに決めたこの人のように、アダム的性質は「得る」過程に常に従事してきた。われわれは色々なものを得ようとしてきた。さて、その中には神の秩序に適うものもあったかもしれないが、われわれは理解力を得ることにしくじってきたのである!「知恵こそ大事なものである。それゆえ、知恵を得よ。あなたが何を得るにしても、理解力を得よ」(箴言四・七)。しかし、これは神の理解力である!われわれが主に明け渡して、自分の人間的理解力を放棄するにつれて、神の神聖な理解力が優勢になる。もしわれわれが神に委ねるなら、主の御霊はこの真理をわれわれに啓示される。あなたたちは自分自身の理解力に頼ってはならない、と主はわれわれに命じられた。われわれは不信心にも、主の真理の啓示をわれわれの人間的理性というひき臼にかけるべきだろうか?現代宗教は人の知性で神を理解しようとしたものである。しかし、救いはわれわれの主のものであり、神は明け渡された人に御自身を啓示して下さるのである。「しかし、上からの知恵は第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、憐みと良い実とに満ち、偏り見ず、偽りがありません」(ヤコブ三・十七)。


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