何度もわれわれは諸々の経験を通るが、向こう側に達するとき初めて、神はわれわれに理解力を与えて下さる。後になって、「神がこの場所におられた」とわれわれは言うようになる。われわれはベテルのヤコブのようである。ヤコブはアブラハムのように完全に明け渡していたわけではなかったので、窮地や試練の只中でも、神が自分と共におられることを理解していなかった。ここでもまた、幻が臨んだのは、ヤコブが信じようともがいている間ではなく、彼が眠っている間だった!今日のわれわれなら、これは彼が神に委ねた時だった、と言うだろう。彼がこの経験をした時、彼は主を見たのである!主が常にその中におられたことを彼は理解した!彼の困難は彼の間違った考えにあった。神の思いはわれわれの思いよりも高く、神の道はわれわれに道よりも高いことを、彼はまだ見出していなかったのである。

 われわれが征服される時、われわれは勝利者の経験の中に入る!勝利者の知的器官と天然的理解力は、神の御子の信仰によって取って代わられている。この信仰を伸ばすことはわれわれには決してできない。これは神の御子の信仰であり、御子を持たない者は誰もこれを持てない!御子の方に目を向けて彼を見つめる時、われわれは生きる!十字架に付けられた御方を見ることに命がある!われわれは御子を見つめる。そして、われわれは消し去られる!神と取り引きをするよう、ただ神とだけ取り引きをするよう、われわれは命じられている。使徒パウロはすべてのことを糞土と見なした!彼が知るすべてのもの、彼の過去の経験すべて、彼の名声、教育を受けた者としての又パリサイ人としての彼の地位、これらのものをすべて彼は失った。それは彼がキリストを勝ち取るためだった!彼はすべてを船外に投げ捨てた。それは、彼の人生の支配権を引き継ぐことを望んでおられる内なる御方の統治のために場所を設けるためだった。その御方とは彼が迫害したキリストだった。キリストは彼をアラビアの砂漠の中に導かれた。そしてその所で、彼は人知を超えた神の愛を知り始めた。彼は理解不可能なことを理解し始めた。彼は御霊の中で諸々の奥義の解き明かしを経験した!神を見て神とまみえる経験をした後、「世はその知恵によって神を知ることはできません」という宣言を彼が轟かせたのも不思議ではない。その瞬間から、彼はただ神とだけ取り引きをしていたのである。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ