キリストの王国

 「私が私の王国を設立するその日…」。これは実際にキリストが行っておられることである!キリストは御自分の王国を設立しておられるのであり、われわれは今キリストの統治の中に入りつつある。なぜなら、われわれを義とする方であるキリストによってわれわれは義とされるからである!これはわれわれの理解力によるのではない。これは、ある期間の学びの後、特定の教義や信条を受け入れて、教会がわれわれのことを「正統的」と認める問題ではない。これは内側で革命が起きて、古い支配者が退位させられて新しい支配者が王座に着いたからである!キリストが統治される!キリストが征服したのである!キリストは勝利である!キリストは御自分の王国を内側に設立することにより、御自分の外側の王国を設立する用意を整えつつある。われわれは勝利者となるために、征服されつつある。キリストがわれわれの内で支配するのを許すことにより、われわれは支配するために訓練されつつある!通常、われわれが信仰と称してきたものは、われわれの側で信じようと絶え間なく苦闘すること、人の理性を超えたものを受け入れようと絶え間なく苦闘することだった。その結果、この戦いで完全な勝利は決して得られなかったのである!そのようなものは形而上的なものであって、霊的なものではない。それは神からの信仰ではない。キリストの信仰は不可能なことに向かって笑い、「それは成就される!」と叫ぶ。そのような信仰を前にするとき、理性はすくみ上り、知性や教養は頭を垂れる。神のダニエルが歩いて中に入って来る時、占星術師や予言者は退出せざるをえない!理解できなくてもわれわれは神を信じる!神は諸々の経験を通してわれわれを中に導いて下さる。そして、たとえそれらの経験を理解できなくても、われわれは神を信じる。

 アブラハムは神を信じた。そして、それが神に対して義と認められた。彼は行き先を知らずに出かけて行った。神を信じて出かけて行ったのである!われわれは神を信じるべきではないだろうか?神がわれわれを導いて道に迷わせたことがかつてあっただろうか?神の約束は偉大だが、神御自身はさらに偉大ではないだろうか?だから、神がわれわれを導いて、われわれには理解できない所を通らせる時、われわれは時として、いにしえのある人と同じように、そのような所におられる神御自身の「後姿」を目にする。神がわれわれを導き通して下さったことをわれわれは理解する!その所でわれわれは神の臨在を目にする。その間ずっと、信仰は神を信じていた。なぜなら、それは神の信仰だったからである。神が御座についておられたのであり、それをわれわれが理解していようがいまいが、この事実は常に同じだった。われわれは神を見、その声を聞く。そして、神がその子らを導き通して下さることを、われわれは御霊の中で知るのである!


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