キリストは

 キリストの内に光がある。キリストは道である。われわれの命である。教理的に正統で、十字架の力についての聖書的哲学を受け入れていても、それは必ずしも、われわれが死から命に移っていることを意味しない。この世には地位を巡る争いがある。命令を与えて権威を行使する地位を巡る無数の策略がある。宗教界にすら、そのよすががある。神は御自分の子らを理解力と光の下にある所に召しておられる。今は準備の期間である!神の山である「ホレブ」に進めという命令を受ける前の「荒野の時」である!

 おそらく、人の短気さはガリラヤのカナの婚宴にいたイエスの母のようである。彼女は彼の力を知っていた。そして、心の中で、自分の息子の栄光が現わされることを期待した。だから、短気を起こして、奇跡を早く行うべきだと示唆したのである。しかし、彼がどのように母親の方を向いて「女よ、私はあなたと何の係わりがありますか。私の時はまだ来ていません」と言われたのか、あなたは忘れてしまったのか?母親と息子の間の優しい関係が御父の御旨に干渉するのを、彼は許そうとされなかった。彼は定められた時まで動こうとされなかった。その時は定められていた。最初から神の御旨により計画されていた。そして遂にその瞬間が来た時、彼は行動しようとされたのである!

 彼を愛する人は短気であってはならない。身の回りのどこを見ても、彼の御力の現われと彼の神聖な権威の傾注が必要なように思われることを、私は分かっている。彼の御旨の中で動かないなら、動いても無駄である。熱狂的に行動しても、もし彼の神聖な目的の中心にいないなら、われわれは無力である。遣わされない限り、出かけて行ってもわれわれは無能である。われわれが用いる武器が自分で鋳造して自分で造ったものなら、われわれは自分の無力さに気づく。

 われわれは忍耐強く待っている――忍耐強くである――朝の光と主のラッパの音を忍耐をもって待っている。その時、たちまち、瞬間的に、またたく間に、人の業績のおかげではなく、神の介入のおかげで、主の栄光が主の子らにおいて、また彼らを通して示される。主の全き御旨の現われと主の輝かしい御力の現われは、いかなる軍隊よりも強大であり、いかなる海の船隊よりも大いなるものであり、疾走する船よりも強力である。


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