キリストの血はわれわれをすべての罪から清める

 一ヨハネ一・七「しかし、神が光の中にいますように、私たちも光の中を歩くなら、私たちは互いに交わりを持ち、そして、御子イエスの血が、すべての罪から私たちを清めます」。私にとって、これはとても尊い真理である。二つの時制でこの御言葉を読むべきである。つまり、過去形と現在形である。もしわれわれが明日も生きるなら、明日はわれわれの現在となる。だから、この御言葉を未来系で読むこともできる、とは言わなかったのである。今日清める血は、われわれがその清めの下に生きない限り、明日は有効ではない。イエスの血は何年も昔にあなたを清めて、その後も清めてきたのだから、あなたは永遠に清い、というのは間違った考えであり、恐るべき考えである。実は、あなたが自分自身をキリストに捧げて、キリストを自分の救い主として受け入れる時、イエスの血はあなたの心を罪から清める。しかし、血は絶えず清め続ける――今日あなたを清め――今あなたを清める。あなたはこの節の言葉に注意したことがあるだろうか?血が清めるのは「私たちが光の中を歩く」時だけなのである。しかし、いかなる光の中をわれわれは歩くべきか?どんな光でも良いのだろうか?心霊主義の光、新思想の光、現代主義の光が、願う結果を生じさせるだろうか?主の御言葉を注意深く読め。そうすれば、神が光の中にいますようにわれわれが光の中を歩く時だけ、二つの素晴らしいことが起きるのが分かるだろう。第一に、われわれは互いに交わりを持ち、第二に、イエス・キリストの血がわれわれを罪から清める。つまり――血の働きは継続的なのである。キリストがカルバリの十字架で私のために流された血は、彼が救い主であることを私が見出した日に適用されたが、この血は私を今日も清めるのである。

キリストの血はわれわれを神に近づける

 エペソ二・十三「しかし今やキリスト・イエスにあって、かつては遠く離れていたあなたたちは、キリストの血によって近い者とされました」。この御言葉は異邦人のために書かれたことを私は知っている。パウロはエペソの教会に宛てて書いていた。そして、エペソ教会の人々のことを、かつて神からとても遠く離れて生きてきた人々として述べた。しかし今や、イエスがカルバリで彼らのために死んで下さったおかげで、彼らは神に近い者とされた。われわれはかつてとても遠く離れていなかっただろうか?良い羊飼いがわれわれを再び群れに連れ戻して下さる日が来るまで、われわれはかつて罪の谷間の中に失われていなかっただろうか?ある小さな少女が父親の膝によじ登り、ぽっちゃりした小さな両腕でその首を抱きしめて、「お父さん、神様のことを『私たちのお父さん』と呼ぶように神様がして下さって、私とても嬉しいわ。だって、神様にとても近づいたように感じるんだもの」と言った。ああ、素晴らしいイエスの血、カルバリの小羊が流された尊い血!この血は神の力の紐でわれわれを引き寄せてきた。そして遂に、神の恵みによって、甘く麗しい関係が確立されたのである。もはやわれわれは、暗闇と絶望の中で迷子になって、遠く離れた山々の中をさまよってはいない。イエスの血を通して、われわれは近い者とされた。聖霊がわれわれの案内者である。イエスがわれわれの長兄であり、神がわれわれの天の父である。以上が、イエス・キリストの血がこんなにも尊い幾つかの理由である。


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