キリストの血はわれわれが栄光の世界に入るための許可証である

 出エジプト記十二・十三「そして、その血はあなたたちがいる家々で、あなたたちに対してしるしとなる。そして、私はその血を見て、あなたたちのところを過ぎ越す。私がエジプトの地を打つ時、災いが臨んで、あなたたちを滅ぼすことはない」。しばしの間、遠く離れたエジプトの、あの重大な夜の光景を思い返せ。奴隷が住んでいた小屋の入口の正面で、屠られた小羊が死んで横たわっているのを思い描けるだろうか?そう遠くない所に、流された血があった。小羊はなしうることを全てなした。その働きは終わった。その血は入口の二つの柱とかもいに振りかけられた。直ちに、復讐の御使いが死の剣を携えて、エジプトの全ての通りと路地を通ることになっていた。御使いはパロの宮殿を訪れただけでなく、すべての奴隷の戸口をも覗き込んだ。復讐の御使いが通りかかった時、この奴隷たちを見て、「ここでは止まらないことにしよう。私が見るところ、あなたたちはイスラエル人だから」と言ったとは、聖書はわれわれに告げていない。御使いが求めたのは決して彼らではなく、血だったのである。旅路の日々が終わって、あなたが栄光の世界の門を叩く時、門で立って警護している御使いが求めるのはあなたではない。血を求めるのである。罪がそこに入ることはない――われわれの罪を洗い流せる唯一のものは、カルバリの十字架の尊い血だけである。

キリストの血を通してわれわれは聖められる

 ヘブル十三・十二「だから、イエスもまた、御自分の血で民を聖めるために、門の外で苦難を受けられました」。再び、型が本体に融合して、これにより神の偉大な贖いの計画の麗しい驚くべき光景をわれわれに示すことがわかる。古の時代、いけにえが献げられた後――屠られた小羊の体は門の外に持って行かれて焼かれた。その体は肉だった。これは、肉は焼き尽くされなければならないことを示す型だった――肉は滅ぼされなければならないことを示す型だった。聖化は罪と肉の欲望に対する死を意味する。世と世に属するものからの完全な分離を意味する。しかし、人はどうすれば聖められるのか?全体的堕落から聖化と純粋さの高みへとわれわれを導く階段を、われわれはどうすれば登れるのか?海の真ん中で溺れている人のように、戦いの中にあるわれわれを助けてくれるものは何も見つからない。探すことはできるが無駄である。なぜなら、この大いに切望すべき経験を可能にする方法は、世の基が据えられる前から屠られていた小羊をわれわれが見ない限り、決してわれわれのものにならないからである。われわれの主は門の外で苦しまれた。血の門を通り抜けない限り、いかなる人も決して聖化の大路を歩けない。これが、イエスの血が驚くほど尊いもう一つの理由である。


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