壮大な結論

 そして、パウロは輝かしい結論に達する。われわれがこの教訓を学ぶ時、然り、それを実行に移す時、何かが起きる。あまりにも素晴らしいためあらゆる理解を超えている神の平安が、われわれの心と思いを満たす、と彼は告げる。この平安が臨むのは答えと同じ時である、とは彼は言っていない。答えの前に平安が臨むのである。この平安は答えによらない。答えを与えることのできる御方を信じるわれわれの信仰による。これが秘訣である。

 沈滞と平安との間には大きな違いがある。われわれの生活はわれわれの御父の御手の中にあることを理解する時、そして、御父だけが必要を満たせるのであり、そうすることを御父は御言葉の中で約束して下さっていることを悟る時、われわれは思い煩わない境地に達する。われわれの中の誰にとってもこれで満足なはずである。われわれ全員にとってこれで十分なはずである!

 この平安は心と思いの両方を守る。心と思いの間には違いがあることはお分かりだろう。心は感情を取り扱い、思いは理性を取り扱う。心の諸々の過程は霊的である。思いの働きは論理的である。時として、心と思いは衝突する。われわれの自我の領域の内側深くで心は信じたがっているのに、思いが理屈を言い続けて心の平安を乱すのである。

 一度ならず、この争いがわれわれの人生で荒れ狂ってきた。それに気づかない時でも、これはそうだった。われわれは神との交わりを持ったばかりだったかもしれない。イエスに信頼していたかもしれない。主の祝福を受けて、御霊の動きを感じていたかもしれない。勝利が与えられることを自分の心の中で確信していたかもしれない。しかし、家に帰る途中、われわれはそれについて考え始め、われわれの思いはわれわれの心を痛めつけ始めた。理性が信仰に対して戦い始め、われわれは自分が信じたいことを信じられなくなってしまった。この思いと心との闘い、信仰と理性との長年の戦いの中で、時としてわれわれは、自分が信じていないことを信じるという矛盾に陥ってしまう。

 しかし、ああ、イエスの内には甘美で幸いな場所がある!隠れた命がある。これはあまりにも麗しくて聖いため、そこでは心と思いは調和する。主に完全にいつまでも信頼するという学課を自分たちの過去から教わる時、この戦争は終わり、この戦いに勝利する。たとえ家に帰る道が分からなくて暗闇の中で泣いている子供のようだったとしても、われわれの涙は見えない手で拭い去ってもらってきた。そして、われわれの心は救い主の導きの中で喜ぶ。もはや思い煩う必要はない。もはや心配する必要はない。主は近い!われわれの主はあまりにも近いため、われわれは主の御手が自分の頭に触れるのを感じることができる。そして、われわれは主の御声の音を聞いて感動する。主は魂という園の道をわれわれと共に歩み、祈りの格子窓の下でわれわれと語られる。その時、艱難はわれわれに影響を及ぼさなくなる。なぜなら、試練はわれわれを主の傍に追いやるにすぎないからである。


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