ヤコブが夢で見たはしご

 昔、受肉が啓示された地上の少数の人々は、自分の内で「これこそ神の偉大な計画の最高峰です。憐み深い神が心に抱かれた永遠の計画の成就です!」と言ったにちがいないと思う。しかしわれわれは今日、受肉の奇跡と同じように輝かしい驚くべき奇跡を知っている。受肉は神が人類を導く上に向かうはしごの最後の横木ではなかった。来るべき時代の光により、永遠の都の通りへと導く門に立てかけられているこのはしごの最後は、人の手によって作られたものではないことがわかるだろう。ヤコブが夢で見たはしごは霊的なはしごの型に他ならず、地上や地獄のいかなる勢力も決してこのはしごを壊せない。神の計画の方法もそうであり、初めに存在していた言葉は肉体となられた!この言葉は無効にされなかった。最初からわれわれの天の父の御心の中にあった御旨の次第に明らかになる啓示の中に、それは溶け込んだ。神と共にあったこの言葉が、実際に人々の間に住まわれた!神である言葉が現わされて、恵みと真理に満ちていた!われわれはその栄光を見た。御父のひとり子の栄光である!受肉の教理に言及する時はいつも、われわれの心は感謝のうちにキリストへと向かうし、そうしてしかるべきである。

 放棄がなければ受肉はありえなかったことを思い出さなければならない。ピリピ二章五節から八節にはこうある。「キリスト・イエスのうちにあったこの思いを、あなたたちのうちでも思いとしなさい。キリストは神のかたちの中に存在されますが、神と等しくあることを固守すべきこととは思わず、かえって、おのれを空しくして僕の形を取り、人間の姿になられました。そして、人としての有様で見出され、御自身を低くして、死にまでも、実に十字架の死に至るまでも従順になられました」。

 彼が下られたのは、われわれを引き上げるためである。彼がわれわれの水準にまで下られたのは、われわれが彼の水準にまで引き上げられるためであり、キリスト・イエスのうちにあったこの思いがわれわれのうちにも宿るためである。御自身の神聖な神たる身分を確立するために彼はこれを行ったのではない。われわれが神の子となるのを可能ならしめるために、彼は放棄して受肉されたのである。このはしごを下った後、彼は空手で戻ろうとはされない。かえって、贖った人類を携えて、彼らを永遠の贈り物として天の父の御座の前に捧げるのである。ヘブル人への手紙の一章で、使徒はキリストが神の子である七つの証拠を示した直後、引き続き次の章で、キリストの人との一体化の七つの要点を示す。キリストは人の水準にまで下り、人の性質を取り、人の誘惑を耐え忍び、人の代わりに死に、人の敵を征服し、人の勝利を達成し、人の救いを獲得されたのである!


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