私は疑問に思うのだが、あなたは飢えているだろうか。少しばかりの肉がほしいだろうか。私のクリスチャン生活の中で最も輝かしくて美しい霊的経験の一つの中に私は入りつつあるように感じる。もしかするとあなたは、私の説教を記した書き物や聖壇から語られた言葉の動向に気づいているかもしれない。私はこれまで漸進的啓示の福音を強調してきた!いかなるクリスチャンも伝統的信条や標準的神学の壁内の霊的生活に自分を閉じ込めてはならないと、私は強調してきた。これはイエスに従っている男女に起きかねない最も危険なことの一つである。なぜなら、これによって、われわれは御霊の働きを制限してしまうからである。

 われわれは神と、人間生活における神の働きとを、われわれ自身の思想が造り上げた境界に制限してしまう。そうすることで自分の救いを失うことはないが、このような救いが日々刻々われわれにもたらすはずの祝福と命と力を失ってしまう。かりに神がわれわれに完全であることを要求されたとしても、それはその日の時点における完全であり、相対的完全である。

 小さな赤子は完全である。手足には傷がまったくなく、その小さな青い目は健やかな輝きを発している。新しく生まれたピンク色のかわいい子を見て、われわれは「この子は完全な子だ」と宣言する!しかし、その完全は相対的なものにすぎない。それは理解力や運動能力に成長の可能性がないことを意味しない。その小さな子供は食物を摂って肉体的に成長し、完全な人になって、自分の両親の身の丈に達しなければならない。だから、恵みと知識において成長するよう、クリスチャンは勧められているのである。彼らは御言葉の肉にあずかるべきである。主が分け与えて下さるものを同化吸収するよう指導を受けて、最終的に霊的成熟に達した民の立場に達しなければならない。

 われわれの家の近くに遊び場がある。一度ならず、私は自分の車を止めて、遊んでいる子供たちを観察した。私は彼らの生き生きとした表情を見、休み時間に幸福な心と喉から発せられた喜びに満ちた叫びを聞いた。満足しきった様子の活気に満ちた幼年期を見て、私は心の中でこう言った。「あの子供たちには全く何の心配もない。完全に満足しきっていて、この上なく幸福なのだ」。もし私が年月の回廊の先を見ることができたなら、その小さなそばかすの少年が成長して成年に達し、工場の中で、人生の諸々の責務に直面しているのが見えただろう。もしかすると、別の子供は多忙な店舗経営者になるかもしれない。また別の子供はどこかの聖壇で永遠の御言葉を説いているかもしれない。私が述べたい要点は次のことである。すなわち、この子供たちがこの上なく幸せである事実は、人生の諸々の責務を負う義務や、成長して成年に達する義務を彼らに免れさせるものではないのである。

 われわれのクリスチャンとしての歩みも同じである。われわれははちきれんほど幸せになって、今の自分の状態に満足しきってしまうあまり、自分は神の救いの恵みの小道の終点に達したと誤解してしまう。そして、既定の神学や教会の伝統の境界内で、幸福で満足な生活に落ち着いてしまう。


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