罪定めはない

 人がわれわれを罪に定めなくなる地点に、われわれは決して到達できない。小さな子供のときに宮の中にいたイエス御自身、その地上の両親から「悪い子」と思われた。彼は御父の仕事に従事していたのである。彼らは誠実だったが、それにもかかわらず、彼を誤解した。彼が「私は父の仕事に従事しなければならないこと(私の父の御旨を行っていること)が、あなたたちには分からないのですか?」と言われた時の、その叱責の優しさが分かる。

 ヨセフとマリヤは盲目さと愛のゆえに彼を叱責した。しかし、彼の心の中に罪定めはなかった。おそらく、われわれの内側で御父の御旨に働いてもらい始める時、多くの人々が批判するだろう。われわれは「神秘主義」の罪で告発されるだろう。もしわれわれが何らかの「過去の偶像」を去らせようものなら、われわれは接触する人の数人から罪に定められるかもしれない。しかし、われわれが避けるべき罪定めは、しかしながら、われわれ自身の心による罪定めである!これが去る時、われわれは確信をもって恵みの御座に近づけるようになり、われわれが求めるものはなんでも神から受けることを知るようになる。去らせよ。

 これにより、肉の意志を行う者たちの間から出て行くことが必要になる。これが、「私のために父や母、姉妹や兄弟、家や土地を喜んで捨てようとしない者は誰でも、私にふさわしくありません」と仰せられた時、イエスが言わんとされたことである。彼の御言葉に完全に従順に歩んで、彼の御旨に対する献身の生涯を送ろうとするなら、われわれは全てを「去ら」せなければならない。そうするなら全ての必要は満たされる。霊、魂、体のためのすべての必要は満たされる。

 足りないものは何もない。彼の内に癒しがある。涙は拭い去ってもらえる。悲しみの代わりに喜びの油があり、灰の代わりに美しさがある。それから、神の愛の小川がわれわれという経路を通して妨げられずに流れ出る。そして、われわれは無尽蔵の供給の泉から飲む!われわれは自分が神と一つであることに気づき、神の性質にあずかる者となる。模倣はやみ、参与が始まる!

 彼のものは全てわれわれのものである!われわれは全く彼のような者である。「この今の世にあって、私たちは彼のような者だからです」。われわれは彼と共に死に、彼と共に葬られ、彼と共に復活し、彼と共に昇天した。したがって今や、われわれは栄光にあずかる者たちである。この栄光は彼の栄光であり、神の永遠の日の夜明けの啓示の光によって完全に現わされるのである!

 われわれはこれを犠牲にして安物の宝石にしがみつくべきだろうか?肉や自己という偶像を保って、天の宝、永遠の宝石の冠を失うべきだろうか?命を神に明け渡しさえするなら、この宝がわれわれ一人一人の内に宿るのである。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ