「愛する者たちよ、もし私たちの心が私たちを罪に定めないなら、私たちは神に対して確信を持つことができます。そして私たちが求めるものはなんでも、神から受けます。それは、私たちが神の戒めを守り、神の目に喜ばしいことを行っているからです。神の戒めとはこれです。すなわち、私たちが神の御子イエス・キリストの御名を信じ、彼が私たちに命じられたように互いに愛し合うことです。神の戒めを守る人は神の中に住み、神もまたその人の中に住まわれます。そして、神が私たちの中に住んでおられることは、神が私たちに賜った御霊によってわかります」(一ヨハネ三・二一~二四)。

 「私たちの心が私たちを罪に定めない時!」。これは素晴らしいことではないだろうか!キリストと共に葬られて復活し、キリストの中に全く失われた結果、自分の心の中に何の罪定めもなくなり、「私たちが求めるものはなんでも、神から受けます。それは、私たちが神の戒めを守り、神の目に喜ばしいことを行っているからです!」という崇高な確信が生じる経験に、あなたは飢え乾いてこなかっただろうか?

 この輝かしい章の一節で「見よ、私たちが神の子と呼ばれるために、どのような愛を父は私たちに授けて下さったことか」と告げられているのに、どうして罪定めが生じるのか?実を言うと、このような罪定めは一般的に言って現在や未来の代わりに過去を見つめて生きることによって生じる。われわれはわれわれのためのキリストの御業によって表わされた神の恵みを見つめる代わりに、自分たちがしてきたことを熟考することにあまりにも多くの時間を費やしてきた!神はわれわれを罪に定められないのだから、どうしてわれわれが自分を罪に定める必要があろう?

 自分の心に罪定めの感覚を抱えたまま、御父の御前に出ることはできない。われわれに関する神の完全な御旨を知ることができるのは、われわれの魂が引き上げられて、「キリストは私を解放して下さいました!もはや私は自分の咎の結果を恐れて生きることはありません」と歌う時だけである。カルバリは全ての鎖を断つ一撃だった。そして、重しや妨げは全て取り除かれたのである!


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ