少しの間、塵の山の上に座している古のヨブのところに戻ることにしよう。神は彼を見捨てたように思われる。彼は自分の最善の友から捨てられたように思われる。三人の友人が彼に語りかけて助言の言葉を与えたが、彼の心の傷を包むことはできない。彼は神を求めて叫んでいる。彼が右を見ても主はそこにおられない。左を見ても主はそこにおられない。前方や後方に行って探しても、主を見いだせない。しかしどういうわけか自分の心の奥底で、このすべてには神の目的があることを彼は感じている。「彼が私を試みられる時、私は純金のように現れる」とヨブは宣言する。彼は自分の堅実さを失うことを拒む。神を信じる自分の信仰を失うことを拒む。結末の章でわれわれは何という光景を見出すことか。主が最後に、天から語りかけた後、自分の僕であるヨブを見下ろして、「ヨブよ、あなたの腫れ物はすべて消えましたか?」と仰せられる光景が私には思い浮かぶ。ヨブは主の目を見つめて、「はい。腫れ物は消えました。だいぶ具合がよくなりました、主よ」と答える。「あなたは駱駝を何頭持っていましたか、ヨブ?」と主はお尋ねになる。「殺されて奪われる前は三千頭持っていました」。「私はあなたに六千頭与えます。あなたが以前持っていたちょうど二倍です。あなたは雄羊を何頭持っていましたか?」と主はお尋ねになる。「五百くびきです」とヨブは答える。「その数を倍にしましょう」と主はお答えになる。「あなたに雄羊千くびき与えます」。「あなたはかつて何匹の羊を持っていましたか?」。ヨブが少しのあいだ考え込む様子が私には見える。なぜなら彼の群れは数が多かったからである。そこで彼は「七千匹の羊を持っていました、おお、主よ」と答える。天の神は、「私はあなたに一万四千匹の羊を与えましょう」とお答えになる。然り、主を賛美せよ。彼は以前持っていたすべてのものの二倍を受けたのである。

 終わりに、私の目を閉じて少しのあいだ白昼夢を見ることにしよう。確かに、私の心の画布の上に描かれた一枚の絵が見える。古のヨブが見える。彼は灰の山の上に座して、古い壺の破片で自分自身を掻きむしり、自分の妻の悲観的な声に耳を傾けてはいない。否、この試練はすべて終わった。彼は自分の広々とした家の前にある広いベランダに座している。そして、彼の足元には大勢の孫たちがいて、この年老いた族長の優しい顔を赤子のまなざしで見ている。彼は自分の広大な土地を見渡して、山腹で草を食べている駱駝たちを見、牧草地の群れの鳴き声に耳を傾ける。彼は百年前の試みの日々のことを考えているのかもしれない。よくよく見ると彼の顔は美しく、彼の表情は真昼の太陽のように輝いている。「かりに彼が証しのために呼び出されたとしたら、神に信頼するすべを知っていた何百年も後の別の人と同じように、ある真理を述べることができた」と言ったとしても、飛躍した想像だとは私は思わない。「主を愛する人には、すべてのことが共に働いて益となります」。この「すべてのこと」は、山頂だけでなく谷底も意味する。陽光だけでなく雨も意味する。昼だけでなく夜も意味する。だから、たとえ道は暗く、谷間を通って、急峻な山腹を登るものだったとしても、神と共に歩み続けよ。そうすれば、あなたは山の向こう側にベラウの谷を見るだろう。


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