あまり遠い昔のことではないのだが、私はある人の傍らで跪いて祈っていた。その人のゆえに私の心は痛んだ。その人が私の肩に頭を載せて話した時、彼は悲しみの杯を注ぎだしたので、最終的に私は彼の砕かれて血を流している心の重荷を彼と共有するようになった。彼は自分の咎を認め、自分の罪を告白した。しかし、私が彼のもとを去る前に、彼は私にこう言った。「『あなたがこのような罠にかかるとは驚いた』と人々は言います。しかし、あなたに言いたいのですが、世界で私ほど驚いた人は誰もいませんでした。自分にこんなことができるとは信じていませんでした。時々、それは恐ろしい夢や悪夢のように私には思われます。しかし、私は自分が思うほど強くないことを、それは証明しました。金銭欲がその鉤爪で私をつかんだので、とうとう私はあの恐ろしい試みに屈してしまったのです」。私が彼と共に祈って、共に涙を流した時、私は陶器師の手の中で傷ついた一片の土くれを感じた。しかしイエスは、試みの時に自分の主を裏切ったペテロを投げ捨てなかったように、この人のことも投げ捨てなかった。人生に何度も何度も試みが臨むのは、われわれが自分自身を知り、自分を知ったうえで自分を裁くようになることを神が望んでおられるからである。これをわれわれが覚えることを私は願う。

 自分を裁くとはどういう意味か?この句が意味するところ全てである。あなたの心の中を覗いて言え、「これは悪いことです。この気性は神を喜ばせるものではありません。噂話の精神が大きな害を及ぼしています。この短気な性質はイエスに似ていません。この愚かしい高ぶり、この地的貪欲もです。私の肉の中にあるこれらのものを私は罪に定めます。私は解放を求めて主に叫びます。これらのものに出て行ってもらいたいのです。これらのものは出ていかなければなりません。神の恵みと力により、私は打ち勝ちます」。これが自分を裁くことである。しかし、あなたが言い訳を始めて、情状酌量すべき状況について述べ、「まあ、『噂話をしたければ、少しばかり噂話をしても構わない』と他の人々は言ってますけどね」と言うなら、これは自分を裁くことではない。あなたはこの問題をはぐらかして、神があなたにしてほしいことから逃げている。あなたに言いたいことがある。あなたがこれを決して忘れないようにと私は祈る。神があなたの生活の中にある御自身にとって喜ばしくないものをあなたに啓示される時、「神の恵みによってそれは出て行かなければならない」とあなたは決意するべきである。あなたが折れて、神に御自身の道を進んでもらわない限り、あなたは決して幸いになることはないし、決して祝福を受けることはできないし、理解力を超えた平安を得ることも決してできない。ああ、私の親愛なる兄弟よ、なぜあなたは神に信頼しないのか?私の姉妹よ、なぜあなたは自分のすべてを主に明け渡さないのか?そうすれば、日が昇って主の約束があなたの心の中で証明され、夜影はあなたの人生の回廊から逃げ去る。


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