われわれは自分を裁くべきである、と聖書は教えていることに、あなたたちは同意されるだろう。地上にいるクリスチャンは各々、絶えず自分を裁くべきである。われわれは前進し続けて完成に至らなければならない、とわれわれは教わっている。到達すべきクリスチャン経験の高い理想が存在する。もしわれわれが自分を裁くなら、裁かれることはない。もしわれわれが今生で自分を裁くことを拒むなら、われわれは死後裁かれるだろう。しかし、自分自身を知らない限り、何人も自分を裁くことはできない。試されない限り、試みを受けない限り、何人も自分自身を知ることはできない。これが分かるだろうか?自分を裁くには、自分を知らなければならない。自分を知るには、試練がなければならない。鎖を試す唯一の方法は、その一つ一つの輪に圧力をかけることである。壊れるまで強く引っ張らない限り、どの輪が最も弱いか分からないこともあるかもしれない。

 もし神が私を試されるとしたら、それは神が私を愛しておられるからである。もし神が私を試みるとするなら、それは明日の私を今日の私よりも良くすることを神が望んでおられるからである。私が知っている一人の人を、あなたたちに証しとして示したい。パウロよ、昇って来て、この講壇の横のここに立ってください。そして、あなたの人生が諸々の制約の中にあったとき、あなたの偉大な心が何を高く評価していたのか、また、何を大切にしていたのかを、この人々に告げて下さい。聞け!彼がこう証しするのが聞こえるだろう。「主にあっていつも喜んでいなさい。繰り返し言うが、喜びなさい。私は自分の弱さを誇ります。なぜなら、束の間のものにすぎない今の軽い艱難は私の人生に働いて、遥かに卓越した重い栄光をもたらしつつあるからです。鞭打ちや投獄のゆえに、私に起きたまさにすべてのことのゆえに、私は主を賛美したいです。艱難は忍耐を生み出します」。キリストの十字架の不屈の兵士のこの証しは、何と輝かしい証しだろう!

 私の友よ、確信せよ。あなたの人生の難所は決して罰ではなく、治療のためなのである。あなたの罪やあなたの欠点を神は罰しない。私が言わんとしているのは、あなたが苦しんでもあなたは自分の咎を贖えない、ということである。断じて、断じて、そんなことはできない。世界中探しても贖いは一つだけである。それは、神の御子が流された血、罪のための贖いとしてカルバリに注がれた血である。

「たとえ永遠に涙を流せたとしても、
 たとえやむことなく熱意を持ち続けられたとしても、
 罪を贖うことはできません。
 ただあなただけが救えるのです。」


 都の城壁の外で、ペテロが砕けた心で泣いていた時、彼はその涙でもって自分の咎の償いをしていたのではない。それはペテロ自身も悟っていた失敗のために他ならなかった。数時間前、彼は大いに自信に満ち、誰の助けも必要とせず、「たとえすべての人が躓いたとしても、私は躓きません」という自分の言葉を確信していた。この言葉はペテロが自分を知らないことを主に示した。あの魔の瞬間、衝動に屈し、呪って誓った時、ペテロほど驚いた人は地上に誰もいなかった。しかし、それはこの親愛なる年老いた漁師の人生の転換点だったのである。


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