少しの間、ある村の郊外にあった古の灰の山に私と共に来てほしい。そこに一人の人が座っている。彼の名はヨブであり、自分が大切にしてきたほとんどすべてのものの残骸を見渡している。家はなくなり、ロバは死に、駱駝と雄牛と羊は環境の冷酷な打撃の下で損なわれた。唯一残ったのは、神を信じる信仰だった。彼は窮状の中で身もだえ、苦しみの中で呻く。古い壺の破片で、彼は頭から足まで覆っている腫れ物を掻きむしる。彼の前には妻が立っていて、おびえた目で自分の前にあるあわれな物体を見ている。小声で彼が神を信じる自分の信仰について何かを囁いていたこと、そして、過ぎ去りし年月のあいだ自分の全てを守ってくれていた手を放すのを拒んでいたことに疑いはない。彼の妻は驚き不思議がった。こんなことを許すとは、神は不義で、冷酷で、無慈悲だった。彼女は驚いて叫んだ、「あなたはまだ自分の高潔さを保っているのですか?まだ神を信じる信仰を持っているのですか?神はあなたを見捨てたのです、ヨブよ。どうして神を呪って死なないのですか?そうすれば、あなたは窮状から抜け出し、悲しみから去って、死があなたの全ての痛みを終わらせてくれるでしょう」。

 優しく、しかし毅然としてヨブは彼女を叱責する。「あなたは愚かな女のように話している」と彼は言い、自分の苦しみにもかかわらず、叱責に満ちたまなざしを彼女に向けた。一瞬黙想した後、自分の妻の顔を見据えて、ある問いを発した時の彼を見よ。その問いはあまりにも深遠なので、霊的識別力のある人しか理解できない。「私たちは神の御手から幸いを受けるのだから、災いをも受けるべきではないか?」と彼は叫ぶ。何という問いだろう。しかし、ああ、何と輝かしい答えが聖書の中に見つかることか。

 なぜ試練が臨むのか?われわれが尻込みして避けようとする出来事がわれわれの人生に起きるのを、なぜ神は許されるのか?われわれが望んでいないことを、なぜ神は時々われわれに送られるのか?あなたに思い出してもらいたいのだが、われわれは時として自分に必要ないものを望むし、おそらく、自分が望んでないものを必要とすることがそれ以上に多いのである。神は最初から結末が分かっておられるが、われわれはそうではない。これらすべてのことで神に信頼するのは何と素晴らしいことではないだろうか?


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