神の安息

 彼らは上の部屋で奮闘をやめて、手放し始めた!「私はどうすればこれをやりとげることができますか?」と人々は時々尋ねる。あなたにはできない!これがその麗しい点であり、輝かしい点である。大事なのは達成することではない。これは明け渡しの問題である。大事なのはあなたが神のために行うことではない。神があなたにあって行われることである!われわれが「自分にはできません」と言い、神が「私にはできます!」と仰せられるのを聞く地点に達することは、何と素晴らしいことだろう。

 苦闘の末に、失敗や幻滅しか見当たらず、「自分には信仰がありません」と言える地点に達することは、何という解放だろう。その時、神は「私にはあります」とわれわれに語って下さり、御自身がその答えとなって下さる。神がわれわれにあって現わすのは神の信仰ではないだろうか?山々を移すのは神を信じる信仰ではなく、神の信仰である!前者は苦闘と努力であり、後者は平安である!

 神は十分である!確かに、われわれ自身は十分ではないし、たとえ一千万年生きたとしても、永遠にそうなることはない!何と惨めな窮地に、われわれの知性偏重主義はわれわれを導いたことか。世人がこれを知っていようが知っていまいが、これが人の統治の結末である!人は六千年支配してきた。しかし、もう十分である。われわれの天の父が支配される。今は、それが完全に現れる前の準備の時である!

 もはやわれわれの誰も「ああ、主よ、私に力を与えて下さい!」と祈るべきではない。その代わりに「ああ、主よ、ここに私がおります!」と祈るべきである。自分の心の中から悪しき道を取り除いたり、自分の思いの中から悪い思いを取り除こうとしてもがくべきではない。われわれにはできない!われわれは十分ではない。しかし主は十分である!主は宮の中から両替商――それはわれわれである――を追い払われる。そして、われわれが自分たちのためにしようとしてきたことを、主はわれわれの内で完成して下さる!

 主はわれわれの知恵である!天から生まれた知恵に匹敵する知恵は地上にはない。主の知恵は決してしくじらない知恵である。われわれは本末転倒なことをしてきたのではないだろうか。物事のために祈るとき、われわれは自分の生活を主に明け渡すべきだったのである!何百もの人々が、「なぜ主が答えて下さらないのか私にはわかりません。私の生活に何か問題があるのでしょうか?」と言ってきた。しかし、最も深いとまどいを人は決して口にしないし、われわれは途方に暮れることを自分の心に決して許さない。もしわれわれがもう少し自分の心を開いて主を認めていれば、われわれは答えを見出していただろう!

 多くの人はすすんで「力」を求めているが、すすんで主を受け入れる人はごくわずかなように思われる!私が言わんとしているのは名目上のことではなく、内なる王国の王として、自分たちの生活の主として受け入れることである。導き手また統治者、現在と未来のわれわれの全存在の源として受け入れることである!

 「ああ、門よ、あなたの頭を上げよ。永遠の扉よ、上がれ。栄光の王が入って来られる。この栄光の王とは誰か?強くて力ある主、戦いに力ある主である。ああ、門よ、あなたの頭を上げよ。永遠の扉よ、上がれ。栄光の王が入って来られる!」。


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