この啓示

 朝の早い時間、コンコーダンスを調べるよう導かれた時、何と素晴らしくイエスが私の心に啓示されたことか。ギリシャ語のコンコーダンスの中に「十分な」「十分さ」という言葉を見つけた時、突然これらの言葉が私の霊の中で聖なる炎のように燃え上がった。それから私は再び読んだ。「何かが自分から出ていると考えるには、私たちは十分ではありません。私たちの十分さは神から出ています!」。これで十分である。神は十分である。自分の貧弱な人間的知恵を神の「十分さ」に対抗させて、それと取っ組み合いをし、自分には理解不能であるという基礎に基づいて神に御自身の命を私の中で生きてもらうのを拒むことを、私はあえてするだろうか?神は御自身の解き明かし手ではないだろうか?神が多くの住まいからなる家に向かう道を私たちの内で歩まれる時、神は様々な方法で御自身を示されないだろうか!このために神はわれわれを贖われたのである。われわれをクリスチャンにすることが主眼ではなく、われわれをキリストのための住まいとするためである!そのようにわれわれの中に住むために、われわれは生ける神の宮となるのである!

 結局のところ、世界に手を差し伸べるには、神のためのわれわれの務めではなく、われわれにおける神の務めが必要である!この間違いをわれわれは犯してきた。われわれはこれを行おうとしてきた!われわれは熱心になって、「主よ、私たちの努力を祝福して下さい!」と心から祈ってきた。自分の計画を立てて、「それを祝福して下さい!」と主に求めてきた。自分で決定を下して、「御霊をその上にとどまらせて下さい」と主に求めてきた。神に決定を下してもらう(神にわれわれの考えの創始者になってもらう)方が素晴らしいのではないだろうか。そうするなら、跪いて、「この決定を祝福して、それを強めて下さい」と神に「夜通し祈る」必要はなくなる。その代わりに、神の祝福がわれわれの降伏して明け渡された霊を通して、制約や妨げを受けずに流れるようになる。そして、「荒野」は喜び、薔薇のように花咲き、荒れた所は喜びで歌うのである!


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