パウロはこの知識と理解力に至る開かれた大通りについて、エペソ一・一七と一八でこう述べている。「私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、あなたたちに知恵と啓示の霊を与えて彼を知らせ、あなたたちの理解力の目が照らされ、彼の召しの望みの何たるかをあなたたちが知ることができますように。また、聖徒たちの中にある彼の嗣業の栄光の富の何たるかを知ることができますように……」。この御言葉の中には、単なる聖書研究では得られない霊的力がある。主が人々に知恵と啓示の霊を与えて下さいますように!とパウロは祈っている。理解力の目が照らされることを彼は求めている。「聖徒たちの内にある彼の嗣業の栄光の富」が実際にいかなるものなのかをわれわれが知ることができるのは、ただこのような啓示による。ただ啓示によってのみ、われわれは「信じる私たちに対する彼の力の卓越した偉大さ」を知ることができる。

 神の事柄に対するこのような取り組み方をペテロは知っていた。「ですから、あなたたちの心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの啓示の時にあなたたちに与えられる恵みを最後まで望んでいなさい」(一ペテロ一・一三)。この荒っぽい粗野なガリラヤの漁師は、啓示以外の方法では、主の深遠な宝を受け取ることはできなかっただろう。イエスが彼に「肉や血がそれをあなたに啓示したのではなく、天におられる父です」と言われた日から、彼の手紙の最後の章の最後の言葉に至るまで、ペテロは天に属する知恵の開示の麗しさを知っていた。神とまみえて交わることがいかなることかを知っていた。彼の兄弟であるヨハネのように、王国の諸々の奥義はただ啓示によってのみ知りえることを彼は知っていた。

 人が天然の感覚を通して語る時、それは叙述である。しかし今や御霊は、啓示により、この世と王国の隠された事柄を明らかにして下さる。この啓示が言葉となって他の人に告げられるやいなや、それは叙述となり、それゆえ、伝達の困難が生じる。律法の下では、祭司と預言者と王は、神の御旨と目的を人々に告げるよう指導を受けた。ただ大祭司だけが神の臨在の中に入って、そこでシェキナの栄光を見、永遠なる御方と顔と顔を合わせることを許された。しかしイエスがカルバリで死なれた時、宮の幕は二つに裂かれた。だから、われわれは仲介者を必要としない。大祭司を必要としない。ただキリスト・イエスだけが必要である。御父は御自分の子供たちに喜んで御自身を啓示して下さる。ただ一つの扉があるのみである。神に近づく一つの大通りがあるのみである。それは主イエス・キリストである!


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