神の子供たちは至る所でわれわれの主が解き放たれる啓示を喜んでいる。われわれが神から受けるものは啓示であり、人から受けるものは叙述である。さて、この叙述は良い正しいものかもしれないが、それは決して神の御旨の開示に取って代わることはできないし、一人一人の心にとってもそうである。イエスは御自分の正体と御自分の来臨の目的という学課をシモン・ペテロに教えたかったのだが、啓示の光の下でこの真理が開示されるのを待った。「幸いなるかな、バルヨナ・シモン。あなたにそれを啓示したのは肉や血ではなく、天におられる私の父です」(マタイ一六・一七)。神は霊であり、神を礼拝する者は霊と真理の中で礼拝しなければならない。啓示は肉や血の領域には臨まない。われわれの理屈という道筋で降りてきてわれわれに近づくのではない。パトモス島の聖ヨハネの啓示は、もし彼が「私は主の日に霊の中にいた」という言葉と共にこの輝かしい物語を述べることができていなければ、決して見ることはできなかっただろう。おそらく、御霊が自分の内に生きておられると告白していても、「御霊を生きる」すべを学んだことのない人々がいる。

 飛行機による旅行は、ある霊的真理の輝かしい絵図である。飛行と機体の安全のために何と重要な役割を「高度」は果たしていることか。地の上にはいくつかの階層がある。低い階層では雨が降っているかもしれない。その上では霧がかかっているかもしれない。このようなエア・ポケットや気象状態では旅は難儀なものになる。しかしそれでも、その上には、陽光の中を旅できる、下のガタガタ道を超越した階層がある。このようにして人は霊の中で昇ることを学ぶ。霊の中でのみわれわれは神を礼拝することができる!口先だけの奉仕は受け入れてもらえない。われわれは主の高く上げる力を主に求めることができる。われわれは昇って主とまみえることができる。霊の中に生きることを学ぶことができる。

 主の子供たちには、啓示により、今や王国の諸々の奥義が開かれている!科学者たちが宇宙の秘密を探求して、命と死を含む事実や実験を示しているように、主の子供たちにも王国の諸々の奥義が開かれている。人が地に向かっている時、この絵の真の景色は決して見えない。人類の輪郭が形を取り始めるのは、もっと高い高度からである。「肉の水準」の地上には、独善的な自己満足や、人類の業績に対する強烈な自己満足がたくさんあるように思われる。しかしわれわれが霊の中で昇る時、われわれは人々をとらえている捕囚や束縛、偉大な解放者を求める叫びを目にする!社会学や政治経済学を学んでも、これらのことを見ることはできない。何という暗闇の中を人々は歩いていることか、そして何という盲目さで道を手探りしていることか!彼らには見えないのである。なぜなら、この幻が臨むのはただ啓示のみによるからである!「神の正しい裁きが啓示される怒りの日のために……」(ローマ二・五)。


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