書き記された御言葉を思いの中に受け入れることができたとしても、それでもこの生ける御言葉を霊の中に持っていない可能性がある。物事が猛烈なスピードで進む今日、われわれは生ける御言葉と真に親しむ時間をほとんど取っていない!聖書の中の一つの章を駆け足で読むなら、その結果、この御言葉に満たされることはない。この御方の助けがなければ、書き記された御言葉の中に「この御言葉」を見いだすことはできない、と私は信じている。しかし、あなたがこの生ける御言葉を得る時、その栄光の臨在は書き記された御言葉の意味の上に光と啓示を投げかけるのである。

 ヨセフ・パーカー博士はある若い説教者に「聖書を決して駆け足で読んではならない。ゆっくり進んで周囲を見渡せ!」という忠告を与えた。同じように、もしわれわれが今日の自動車に乗って時速五十マイルや六十マイルで疾走するなら、道ばたの花の何が見えるだろう?鳥のさえずりを聞くことや、岩々の中に神の創造の驚異を認めることができるだろうか?滝の音楽を聞きつつ水を飲むことができるだろうか?われわれの手の届くところで静かにひっそりと成長しているささやかな物事の隠れた美しさを深く探求することができるだろうか?

 ある人々にとって、イエスのたとえ話は人の知性が捉えるべき幾ばくかの真理を含んだ物語にすぎなかった。たとえ話の中に生ける御言葉が息づいていることを彼らは見落としたのである。イエスが行われたことは啓示の手段にすぎなかった。そのどれ一つとっても、それだけで完結するものではなかった。しかし、キリストの時代の人々はあまりにも盲目だったので、彼らは前へと、そして上へと導いて、生ける御言葉の奥義の開示へと至る道を見ることができなかったのである。

 御言葉はわが足のともしび、わが道の明かりである。しかし、今いるところに立っている限り、人々はともしびや明かりを必要としない!この道はわれわれをあるところに導かなければならない。われわれの足は神の召しに応えなければならない。神の召しはわれわれを今いるところから連れ出して、神が望んでおられるところにもたらす。


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