私がしている働き

 イエスの体と、教会と称されているからだに関する麗しい比喩が新約聖書にある。イエスは局所化された神だった。ペンテコステは神の普遍化だった。イエスは肉身をとった神だった。イエスは処女から生まれた神の御子だった。イエスは誉むべき三位一体の第二位格であり、神の偉大な贖いの計画にしたがって務めを行われた。彼は自分の内にある御父から来た力について語られた。彼は自分自身から出たのではない業、御父の臨在による業について語られた。彼は、私が話す言葉は御父から受けたものである、と語られた。しかし、この真理を思い出さなければならない。この事実を忘れてはならない。彼がナザレにいた時、彼はエルサレムにはいなかったのである。マリヤは彼に、「主よ、もしあなたがここにおられたなら、私の弟は死ななかったでしょう」と言った。彼女はイエスの不在を嘆き悲しんだ。そして、自分の弟が冷たい静かな墓に埋葬されたのは彼がそこにいなかったからである、と信じた。イエスの務めは、彼の地上生涯に関する限り、あまり長く続かなかった。三年の間であり、この三年はすぐに過ぎ去った。彼は外国宣教の旅に一度も出なかった。務めの短い期間のあいだ内陸の湖を渡ったことを除けば、彼は一つも海を渡らなかった。しかし、御父が彼に賜った業を彼は成就された。

 しかし、彼は知っておられた。肉体は栄化されて天上に戻ることになるが、他方、このからだはそれでもとどまらなけらばならないことを。この代々の奥義が啓示されようとしていた。新しいからだが生まれようとしていた。新しい何かが生じようとしていた。それはキリストのからだとなるものだった。教会となるものだった。キリストが行われたことを、教会はすることになっていた。キリストが果たした務めを、教会はいま果たす。それでイエスは「聖霊があなたたちの上に臨んだ後、あなたたちは力を受けます」と言われたのである。

 私の友よ、ここに一枚の絵がある。霊に満たされた教会の輝かしい写真がある。個々の成員の単なる群れや、個々人の単なる集まりではない。成員や個々人が共に組み合わされ、聖霊の絆によって共に結ばれ、ある目的のために共に結ばれるのである。それは、教会が御霊による神の住まいとなるためである。


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