キリストを高く上げよ!


 イエスを高く上げることが常に福音の物語の核心であり、福音のメッセージの力である。それは人々に宛てた宣べ伝えではなく、キリストの宣べ伝えである。「私が地上から上げられるなら、私は全ての人を私に引き寄せます」。

 われわれが救われるのは自分の功績によってではなく、キリストの功績によってである。キリストをおいてどこにわれわれは救いを見いだすことができるのか?そもそもわれわれは救いを求めるべきではなく、むしろ救い主を求めて受け入れるべきである!「主は私の光、私の救い。誰を私は恐れよう!」。

 エペソ一・十七にこう記されている、「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたたちに賜って神を認めさせて下さいますように」。この節のウェイマス訳では「啓示」の代わりに「洞察」という言葉が使われており、「神を知る親密な知識による洞察」となっている。

 カリフォルニアでは、パロマ山上に建設中の新しい天体望遠鏡について多くの話をした。評論家たちは、この天体望遠鏡は「天に昇ってその神秘を探り(中略)宇宙を洞察してその秘密を探る」だろうと述べた。

 このような洞察は、未知のものの中に進み入る霊的レーダーに似ている。われわれの主イエスキリストの神から、知恵と洞察との霊を賜物として受けて、神を認めさせてもらえるとは、主の子供にとって何と素晴らしい特権であることか!この「洞察の霊」を求めて、ある人は昔、「ああ、それは私がキリストとその復活の力とを知るためです!」と叫んだ。この叫びには、すでに目で見て受け取っているものを遥かに超えたものがある、という思いが籠められていた。それを求めて心は叫び、霊は焦がれていたのである!

 このような神聖な分与は天の花婿からの贈り物である!それは天の花婿が花嫁に授ける宝であり、確かに人の奮闘の結果ではないし、人の働きに対する報いでもない。それは神へと分離されて、その生活が神の御旨に対して従順になり、神の目的に素直に従うようになった人々に与えられる。

 だから、われわれは目を上げなければならない。なぜなら、われわれの贖いの時が近づいているからである!「他の人々のように眠っていないで、目を覚まして慎んでいようではありませんか(中略)なぜなら神は私たちを御怒りに定めたのではなく、私たちの主イエス・キリストによって救いを得るように定めて下さったからです。キリストが私たちのために死なれたのは、私たちが起きていても眠っていても、私たちがキリストと共に生きるためです」(一テサロニケ五・六、八~十)。

 御霊は私たちの眼差しを、地と時と感覚に属するものからそむけさせる。それは、われわれが天を見上げて、とても素晴らしい御方を見ることができるようになるためである!聖霊は神の磁石として遣わされている。それはわれわれを地から天に引き寄せるためであり、自分自身について語るのではなく、むしろ「私のものを受けて、それをあなたたちに啓示する」のである。

 われわれを恐ろしい地獄から引き上げてくれる祝された慰め主のこの磁力がなければ、われわれには地上に何の希望もなかっただろう。「それゆえに、天よ(霊の者たち)、そして天に住む者たちよ、喜べ。地と海に住む者たちはわざわいである。なぜなら悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下って来たからである」(黙示録十二・十二)。


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