イエスに関する約束は、彼が将来何をされるかだけでなく、彼が将来何になるのかをも含んでいる。彼の恵みの奇跡は、彼がわれわれのために何をされるかだけでなく、彼が私たちの中で何になられるかでもある。彼が来て、それによってわれわれが救いを見いだせるようになる計画を示しておられたなら、それは確かに素晴らしいことだっただろう。しかし、彼が死んでこの救いとなられたことを理解するのは、言い尽くせないほど貴いことである!人が救いを受け入れて救い主を拒絶するなどということがありえるだろうか?キリスト抜きのキリスト教などというものがあるだろうか?御霊無しで霊的になることができるだろうか?こういうわけで、われわれの教会の諸々の儀式は何の役にも立たない。しかし、人はそれらの儀式を彼の素晴らしい内住する臨在の代わりにしてきたし、自分の傷ついた霊のために儀式のうちに聖所を見いだそうとしてきた。往々にして、それによって人は栄光の王の入場に対して扉を閉ざしてきたのである!

 われわれの主の務めと生涯において特に際立っている一つの真理は、恵みと神の事柄を知る知識とが増進・成長する特権である!その霊の中に生けるキリストが住んでいた使徒パウロは、この同じ輝かしい真理を宣言して、われわれに進み続けて成熟に至るよう勧めた。この成熟は人の理解力が進むことではない。預言に関するわれわれの知的知識の増し加わりでもない。そうではなく、キリスト御自身を知る知識が妨げられることなく流れ出ることである。これは、彼を受け入れるためのわれわれの霊的能力に釣り合う、心の理解力をわれわれに与える。

 クリスチャン生活の成長は、実際のところ、彼の命がますます現れるようになることである。天然の世界で花嫁の個性が花婿の中に失われるように、キリストの花嫁もそうである!キリストの花嫁は文字通り神の性質にあずかる者となる。「私を信じる者(私の中へと信じ込む者)は、その人の最も内なる部分から生ける水の川々が流れ出る」。復活の命のこの神聖な流れの大波は、体、魂、霊を覆う。そして、われわれの誉むべき主は、われわれが律法の呪いの下で受けてきたものを、すべて無効にして、完全に撤廃する。この備えには癒しが含まれる。これは癒し以上のものを意味する。それは健康がずっと続くことである。それは神の命がわれわれの内に絶えず働くことを意味する。


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